江戸時代の代表的な文化と特徴についての豆知識
江戸時代の文化は、ある意味町民が発展させた庶民の文化ともいえます。
中世に流行した仏教芸術のような高尚なものはありませんし、古今和歌集などに代表されるような和歌文化や枕草子や源氏物語などのような文芸文化においても、江戸時代の作品は大衆的なものが多く見受けられます。
しかし、逆の味方をすれば、一部の貴族階級の間にしか浸透していなかった文化芸術が、一般庶民の間にも広がりすそ野の広い発展をしたと見ることもできるでしょう。
演芸においても能や狂言のようなものから発展し、浄瑠璃や歌舞伎などのわかりやすく楽しいものが登場しています。
大衆に広がった文化
江戸時代にはそれ以前の時代とは比べ物にならないほどに文化が一般の人々に受け入れられました。
芝居見物や相撲見物も町人たちが楽しめる程度の料金で見られるようになりましたし、役者や力士、遊女を描いた浮世絵版画(今でいえば、プロマイド写真)も、庶民的な値段で買えるようになりました。
もちろんすべての人が、こうした文化に触れられるほどに豊かであったわけではありませんが、少なくとも江戸に暮らす町人たちはチャンスを得ることができたのです。
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身分を超えた交流がありました
江戸時代は士農工商の身分制度が確立し、封建的な上下関係が厳しかったのですが、それでも大衆文化においてはそうした格差は意識されていなかったようです。
大名が身をやつして町人の芝居を見に出かけ、身分の低い儒者のところに弟子入りして教えを乞うというようなこともありました。
学術や芸術の世界では、社会的な身分は無視され、実力で勝負できる土俵があったのです。
庶民的文化の繁栄を世の乱れとして幕府は取り締まった!?
大衆的文化の流行は治世者にとっては「好ましくないもの」とされ、しばしば幕府によって取り締まりや禁止令が発令されました。
現代でいえば、アダルトビデオを取り締まったり、風俗店の営業を規制したりするようなものだったのでしょう。
しかし、このような取り締まりはほとんど効果がなく、いったんは鳴りをひそめるもののすぐにまた流行を繰り返したようです。
それだけ、江戸時代はエネルギーがあふれていたのでしょう。
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錦絵の流行
江戸時代には錦絵と呼ばれる大衆的な版画がはやりました。初期の頃には墨一色の白黒でしたが、次第に色を重ねるようになり人気を集めました。
歌舞伎役者や力士などの錦絵は飛ぶように売れ、現代のアイドルのような扱いをされました。
また、「江戸買物独案内」など、江戸の名店を網羅したショッピングガイドのようなチラシも刷られ、広告・マーケティングも発展しました。
大衆小説もはやりました
「東海道中膝栗毛」の十返舎一九、「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴、「浮世床」の式亭三馬、「好色一代男」の井原西鶴など、親しみやすい大衆的な文芸が登場し、大人気となりました。
江戸の女子たちは習い事好き
踊りや三味線、生け花や茶道、義太夫、小唄や長唄、川柳や狂歌など、さまざまな大衆芸能の教室が登場し、武家の奥方から町人の娘まで、さまざまな階層が習い事に通いました。
江戸時代のこうした各種文化は社交場としての銭湯で情報交換されていたようです。
各家庭に風呂のない時代、ほとんどの人が銭湯通いをしていましたが、洗い場で互いの背中を流しながら、「流行」について語りあったそうです。
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