江戸時代の医者

江戸時代のお医者さんは誰でもなれて資格試験もなし

江戸時代のお医者さんは誰でもなれて資格試験もなし

江戸時代においても医者は現代と同じように尊敬される職業で、幕府や藩によってさまざまな特典も与えられていました。

 

当時は漢方医学が中心で、18世紀の後半以降はオランダから伝わった欄方医学が少しずつ流行し始めます。

 

とはいえ、町医者のほとんどが漢方医学しか知らないため手術を行うこともなく、治療は脈をとって薬を処方することでした。

 

誰でも医者になれた

江戸時代には身分制度が厳しかったために自由に職業選択はできませんでしたが、医者に限っては誰でもなることが許されていました

 

それだけ、医術が尊重されていたのでしょう。貧しい町人の子どもでも、ある程度頭の良い子であれば取り立てられることもあったのです。

 

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医者になればカゴに乗れた

医師は特別な身分であり、通常は上級の武士にしか許されなかった「カゴ」に乗ることが許されていました。

 

江戸時代の診察は往診がほとんどでしたので、カゴに乗って診にいくわけですが、その代金は診察料に上乗せすることになり、患者負担でした。

 

医師には資格がなかった!?

現代では、医者になるためには医学部を卒業した上で国家試験にパスしなければなりません。

 

しかし、江戸時代にはそんな資格制度はありませんでした。特定の職業につくのに、試験を受けることはなかったのです。

 

誰にでも医者の門戸は開かれており、おまけに資格試験がないということで、目先の利く町人が「医者になろう」と思うのは当然のことだったしょう。

 

江戸にはたくさんの医者がいた

誰でも比較的容易に医者になれたため、次々と志願する人が現れました。

 

そのため江戸時代後期の1820年ころには、江戸の街だけで2500名ほどの医師がおり、人口400〜500人に1人はいるという過密ぶりとなりました。

 

しかし、無試験でなれてしまうために、「無学にして医師となり」という人もいて、ヤブ医者も少なくなかったようです。

 

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治療費は全額個人負担

江戸時代には健康保険制度などありません。診察費用は、すべて自分で支払わなければなりませんでした。そのため、貧しい人々の中には、病気になっても医者にかかることのできない人も少なくはなく、社会問題化していきました。

 

貧しい人たちのために公共病院も設立された!?

1722年(享保7年)に江戸時代初の公共病院が設立されました。それが小石川療養所です。

 

市中に設けられていた「目安箱」にいれられた町人からの投書がきっかけだったと言われます。

 

そこでは、極貧の患者向けに無料で治療が施されました。入院収容人数は117人と定められており、明治の初めまで続く診療所となります。

 

ただ、当初は貧しい人たちの救済の場だったものの、次第に不十分な治療がなされたり不正行為が横行したりして、入所を希望する町人の数は減っていってしまいました。

 

はやり病もあった!?

江戸時代には「江戸わずらい」という病気が江戸にだけ流行しました。患者は特に、地方から江戸に出てきた奉公人などに多かったそうです。

 

実は、精白米ばかり食べたために、ビタミンB1が不足して脚気になったのですが、当時はビタミンと脚気との因果関係など知られているはずもなく、「奇病」として扱われていました。

 

なぜか江戸を去り地方に戻ると治ってしまうという「不思議な病気」とされていたのです。

 

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