江戸時代の避妊

江戸時代の人はどのように避妊していたのでしょうか?

江戸時代の人はどのように避妊していたのでしょうか?

人類の歴史の中で、「避妊」というのは大きなテーマでした。高度な避妊法が確立されている現代においても、若い男女が十分な知識のないまま性行為をし、望まない妊娠をしてしまうというケースは少なくないようです。

 

妊娠についての科学的な知識の乏しかった江戸時代には、迷信に近い方法も含めかなり幼稚な方法がとられていました。

 

江戸時代の性に関する倫理観は、現代以上に緩やかなものだったと言われ、「処女を守る」というようなお堅い感覚を持っている女性は少なかったようです。

 

そのため、簡単に性行為に及び、結果としてかなり高い確率で妊娠をし、中には中絶をせざるを得ないケースも多々あったようです。

 

また、江戸時代には売春が合法的に認められていましたので、遊郭などの遊女・女郎たちにとっては避妊法はとても重要視されており、いろんな手段がとられていました。

 

とにかく洗えば何とかなる!?

現代でもこの方法をとっているカップルがいるようですが、膣内に入った精子を洗い流せば妊娠しないと考えられていました。

 

実際には膣内で射精された精子はすぐに子宮内に泳いでいってしまいますので、行為の後でいくら洗浄しても間に合うことはめったにありません。

 

江戸時代にはそうした知識なかったため、とにかく遊女たちは洗っていたのです。遊郭の浴室やトイレには洗浄用の場所が設けられていました。

 

この方法は、一般の家庭でもとられており、子どもを望まない夫婦や未婚のカップルは行為の後にマメに洗っていたようです。

 

コンドームもあるにはあった!?

男性用に「甲形」(かぶとがた)というべっ甲でつくられた道具がありました。

 

ペニスに装着してその内部で射精する装置ですが、べっ甲でできていたので装着感はとても悪く、実用には向いていません。

 

もっぱら「大人のおもちゃ」として遊女相手に活用されてたようです。

 

その他、魚の浮き袋をコンドームのように用いていたとも言われます。

 

ただし、強度がないため、行為の最中に破れてしまうリスクはかなり高かったと思われます。

 

ペッサリーもあった!?

「詰め紙」と呼ばれる柔らかい紙を女性器の奥に丸めて挿入し、精子の侵入を防ぐという方法もとられていたようです。

 

「揚げ底」(あげぞこ)とも呼ばれていましたが、吉野産の「吉野紙」という上質紙が人気でした。

 

精子の侵入を防ぐという意味では一定の効果はあったと考えられますが、妊娠を確実に回避できるほどの確実性はありません。

 

避妊薬もあった!?

「朔日丸」(ついたちがん)という避妊薬があり、毎月一日に飲むと妊娠しないとされていました。

 

江戸時代後期に流行った薬ですが、まったく効能はなく、ほとんどサギに近いものだったと考えられます。

 

お灸で避妊できる!?

江戸時代には、2月2日におへその下にお灸をすえると妊娠しないという、まことしやかな説が信じられており、遊郭・女郎屋などでは、毎年この日になるとみんなでお灸をしていたと伝えられています。

 

おそらく、効果はまったくなかったであろうと考えられます。

 

ちなみに、江戸時代には結婚は親が決めるものでしたので、激しい恋の末に結ばれる、ということはほとんどありませんでした。

 

それでも「恋」は存在し、若い男女は倉庫の裏や神社の境内にある林の陰、川沿いにとめた小舟の中などで性行為に及んだそうです。

 

そういう場所での性交では、上で紹介した洗浄法すらつかえません。ほとんど避妊なしの状態だったため、中絶に至る場合も多かったそうです。

 

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