江戸時代の人の平均寿命はどれくらいだったのか?
織田信長は「敦盛」(あつもり)という舞が好きでした。特に、「人間五十年、化天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」という一節を好んで舞ったといわれています。
「人間五十年」とは、人の一生は50年ほどだという意味で、平家の時代から江戸時代には、平均寿命は50年と考えられていたようです。
これを根拠に、しばしば「江戸時代の平均寿命は50才くらいだった」と言われますが、現代用いられている人口統計の手法で計算すると、もっと短かったと考えられています。
当時の平均寿命は正確には計れない!?
江戸時代には現代のような戸籍制度がなく、生まれた子どもの数をきちんと把握する仕組みはありませんでした。
どこの家庭に何才の人が何人いるか、というようなことは大体わかっていたものの、「7才までは神の子」などとも言われており、幼児を数えない地域もありましたので、科学的な人口統計をするための基礎的データは残されていません。
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そのため、平均寿命を正確に算出することは不可能で、さまざまな資料をもとに推定値が計算されています。
おおよそ30才〜40才だった!?
多くの研究者が江戸時代の平均寿命について推論していますが、試算結果にはばらつきがあります。
30才というものも35才というものもありますし、中には50才という説もありますが、だいたい「30才〜40才くらい」だったと考えられます。
短命なのは乳幼児の死亡率が高かったから
平均寿命というのは、新生児が何才まで生きられるかを統計学的に予想したものです。
仮に5人の子どもがいて、3人は0才で亡くなり、1人は50才、1人は100才で亡くなったとすると平均値=寿命は30才となります。
長生きする人がいても、乳児の死亡率が高いと平均は低くなります。
江戸時代には医療技術が十分でなかったこともあり、生まれて間もない子どもの死亡率がとても高く、そのため、理論上の「寿命」は短くなるのです。
極端な例ですが、江戸時代の12代将軍徳川家慶には男女合わせて27人の子どもがいましたが、20才まで生きられたのは家定1人のみでした。
また、家慶の父親である11代将軍家斉の子は50人いて、半数が20才までに亡くなっています。
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将軍たちの平均は51才!?
江戸時代の将軍は全部で15人ですが、その享年の平均は51才です。
初代 家康75才、2代 秀忠54才、3代 家光48才、4代 家綱40 才、5代綱吉64才、6代 家宣51才、7代 家継8才、8代 吉宗68才、9代 家重51才、10代 家治50才、11代 家斉69才、12代 家慶61才、13代 家定35才、14代 家茂21才、15代 慶喜77才です。
栄養状態は庶民に比べて圧倒的に良かったはずですので、比較的長生きの人が多いようです。
長生きした人も大勢います
歴史上の偉人たちの中には長寿をまっとうした人も少なくありません。
葛飾北斎は90才、杉田玄白85才、貝原益軒85才、滝沢馬琴82才、上田秋成76才、良寛74才、伊能忠敬74才、徳川光圀73才、近松門左衛門72才などとなっています。
「寿命」はあくまでも統計的な推定値
わが国の平均寿命が50才を超えたのは1947年(昭和22年)です。当時の統計上では、昭和22年生まれの人は「だいたい50才くらいで亡くなる」と予想されていたわけです。
しかし、この年に生まれた267万人のうち8割以上が60代半ばを過ぎても存命です。
統計にはそんなマジックのような側面があることも知っておいた方がよいでしょう。
江戸時代の平均寿命は30代半ばくらいと推定されますが、皆が早死にしていた訳ではありません。長生きする人も少なくありませんでした。
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