江戸時代に使われた言葉にはどのような特徴があったのか
江戸時代には、中央政府が定めた共通語・標準語というものはありませんでした。
したがって、「方言」という考え方もなく、皆がそれぞれ使い慣れた言葉を勝手に使っていたわけです。
江戸時代の初期には、全国から何十万人もの武士たちが集められ、また、街づくりのために大工や土木工事のできる労働者が各地からこぞってやって来たために、さまざまな地方言語が一気に江戸に侵入し、かなり混乱した状態であったと推測されます。
文献で残される資料は、一般的には文語体で書かれているため、口語でどのような言葉づかいがなされていたのかはよく分かっていません。
各地の言語が混ざり合った混沌とした状態であったとは思われますが、特に江戸時代のはじめの頃のことについてはあまり具体的には分かっていません。
しかし江戸後期には、口語を使った文学も数多く登場したため、そうした史料から当時の言葉がだいたい分かっています。
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堅苦しい武家言葉
江戸時代に武士たちの使っていたものを武家言葉といいます。時代劇などで使われているので、耳にすればだいたい意味が分かります。
感謝の意を表す場合の「かたじけない」(現代なら、すみません)、かわいい奴という意味で「うい奴」、お前はという意味で「うぬは」、いらっしゃるという意味で「おなり(である)」などがありました。
武家の言葉は堅苦しく、形式ばったものいいが特徴的です。
柔らかい江戸言葉
江戸時代から今でも残っているので耳にしたことがある人も多いのが、江戸言葉。いわゆる「べらんめえ調」の話し方です。
町人の間で使われた言語ですが、職人の使うものと商人の使うものとは異なっていました。
「ヒ」と「シ」を入れ替えて発音するのが特徴で、東を「シガシ」、「質屋」を「ヒチヤ」と読みます。「潮干狩り」は「ヒオシガリ」と読み、それがなまって「ヒヨシガリ」となりました。
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かなり乱れた言葉づかいをしていたので、意味不明!?
現代の江戸言葉はだいたい理解できるものですが、江戸時代に実際に使われていた表現の中には、現代人では意味をとれないものもあります。
「浮世風呂」に描かれている女性たちの会話では、「こうこう、おめえ、ゆうべは大酒屋か」「ああ、おめえは」「あれが口っぱたきなら、そっちは尻っぱたきだ」というやりとりがあります。
女性も相手に対して「お前(おめえ)」と使っていたようです。
「傾城買四十八手」に描かれている吉原の場面では、「てめえ、もってきたなあなんだ。うめえものならくれろえ」「さあくいなんし」「おきやあがれ。温石か、おらあまた餅かとおもった」というやり取りがあります。
何となく分かるようで、分かりにくい会話ですが、「持っているのはなんですか、おいしいものならくださいな」「さあどうぞ」「なんだ、温石(石を熱して布にくるんだ暖房器具)か、餅かと思ったのに」という内容です。
現代の表現とはかなり雰囲気が違います。
出身を隠すために生まれた「ありんす」
吉原などの高級遊郭では、独特の言葉「ありんす」が使われていました。
これは、地方から買われてきた女郎たちが方言によって客に出身地を知られ、田舎の話をすることで「里心」を起こさせないようにするためだったと言われています。
「です」「あります」の代わりに「ありんす」を使うなど独特の言い回しですが、次第に洗練され、優美な表現として定着しました。
▲吉原花魁の朗読会の動画です
時代劇ではきれいな現代的な表現に変えている!?
江戸時代の口語を忠実に再現してドラマや映画を作ると、視聴者には意味が分かりません。
そのため、テレビ番組などでは、現代人が聞いても理解できる程度にきれいになおしてあります。
使われてる通りの言葉づかいをしていたわけではありません。上で紹介したような言葉でドラマ化しても、ほとんどの人はぽかんとしてしまうのではないでしょうか。
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