江戸時代の服装にはどのような特徴があったのか
江戸時代の服装は、男女で異なるのはもちろん、身分によっても違っていました。
今のような服装ではなく、男女とも着物を着ていましたが、小物などにも身分による違いがありました。
時代劇などをよく見ていると気がつきますが、社会制度がそのまま服装にも反映されています。
武家の女性はおしゃれをしなければならない!?
江戸時代の武士たちは、士農工商という身分制度の一番頂点に立つ階級です。
将軍や御三家などの大名が道を通るときには、町人たちは土下座をして通り過ぎるのを待たなければなりません。
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もちろん中には下級武士もいて、彼らの生活レベルは町人とほぼ同等か、場合によってはそれよりも低いということもありましたが、身分とプライドだけは上です。
その配偶者である武士の妻たちも、気位を高く持たなければなりません。
たとえ貧しい下級武士の妻であっても、だらしない服装はできません。「武士の名折れ」となってしまいます。
町人たちからは「奥方」と呼ばれ、尊敬されています。正式な場に出かけるときには正装しなければなりませんでした。
小袖と呼ばれる着物の上に「打掛」(うちかけ)という着物を重ね着するのがオーソドックスなスタイルだったようです。
ただし、夏場は暑いので打掛は着ません。髪はクシできちんと整え飾りにし、扇を手にするのが決まりです。
また、武家のたしなみとして、小刀を帯に挟んでいました。
▲江戸時代の着物を復元
町人の女子は前掛けが習わし!?
江戸時代には年齢や身分に合わせて着物や髪形のしきたりがありましたので、その服装を見ればどんな家の人なのかはすぐにわかります。
町人の妻たちは、丸髷(まるまげ)という髪型に着物を着て、エプロンをするのが一般的です。
前掛け、前垂れ(まえだれ)と呼ばれるエプロンは、着物の汚れを防ぐためのものです。
町人の妻は何枚も着物を持っているわけではありませんし、買うときにも新品ということはほとんどありません。
古着屋で買った着物を大切に着続けるために、前掛けは必需品だったのでしょう。
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きちんとした服装をしなければ武士ではない!?
武士は社会の規範です。身分制度のトップに立っているわけですが、実際のところ江戸時代には戦争もほとんどなく、ほとんどの武士は戦うことなどありません。
日々の仕事は現代でいう「役所勤め」と同じです。書類をつくったり申請書にハンコを押したりという毎日です。
お城に勤めにいくときには、着物の上に裾の長い袴を着ていきます。かなり長いズボンのようなものですので、歩きにくいしろものですが、それが礼装でした。
これに上着として肩衣をつけ上下セットで「裃」(かみしも)と呼ばれます。
武士という名前ではあっても戦闘をするわけではないので、こうした動きにくい服装でも構わなかったのでしょう。
髪型を整えることも武士のたしなみで、ちょんまげスタイルでは頭のてっぺんをきれいに剃っていないとカッコ悪い、とされていました。
不精ヒゲのようにちょんまげのまわりに短い毛が生えていては恥です。しょっちゅう、頭を剃っていました。
町人たちのオシャレグッズは羽織!?
町人の男性たちの服装も、女性と同じく質素な身なりをしていました。
古着屋で購入した着物を大切に着るのが普通ですが、おしゃれとして「羽織」を上に着るのが粋(いき)でした。
江戸時代265年間の間には、羽織の流行がしばしば変わり、裾の長いものがはやったり短いものがはやったり、袖の短いもの、袖のないものなど、さまざまなものが登場したそうです。
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