江戸時代の英語

江戸時代の人はどうやって英語を学んだのでしょうか?

江戸時代の人はどうやって英語を学んだのでしょうか?

江戸時代末期のペリーの黒船来航以来、わが国は英語による外交の必要性に迫られました。

 

それまでは、海外の科学や文化、政治などを学ぶのにはオランダ語が中心でしたので、英語を知っている者はあまり多くはありません。

 

鎖国政策から開国に向かう世情の中で、江戸時代の人たちはどのように英語を学んでいったのでしょうか? そこには蘭学者たちの努力や、ジョン万次郎の活躍などがあったのです。

 

最初に英語が伝わったのは徳川家康の時代!?

初めて日本に上陸したイギリス人は、航海士のウィリアム・アダムスだったと言われています。

 

彼は、アジアに向かうオランダ船団に乗り込み、さまざまな困難の後、日本に上陸しました。

 

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1600年のことで、到着したのは豊後国(今の大分県)。当時は豊臣秀吉の治める時代でしたが、対応を任されたのは徳川家康でした。

 

アダムスらを大阪に連れてこさせ、話を聞きました。イエズス会の注進により、当初は海賊船だと思い込んでいた家康ですが、アダムスの説明により誤解を解きました。

 

その後、江戸時代に入ると、家康はアダムスを重用し、外国人との交渉時の通訳として使ったり、造船を指揮させたりし、日本人女性と結婚させて三浦按針(みうらあんじん)という日本名も与えました。

 

三浦按針のおかげで、ほそぼそとではありますが、江戸時代のわが国にも英語が受け継がれていったのです。

 

江戸時代の人はどうしてアダムスの言葉を理解できたのか?

アダムスが乗ってきたのはオランダ船です。当時も蘭学の通訳はいましたので、オランダ語であれば会話が可能でした。

 

それゆえ、アダムスが話したことをオランダ船員がオランダ語に訳し、それを日本人の通訳が和訳していたと考えられます。

 

オランダ語を媒介とした会話を続けるうちに、直接理解できる日本人通訳も育っていったのでしょう。

 

フェートン号事件が英語研究の契機に!?

1808年にイギリス船がオランダ船のふりをして長崎に侵入するという「フェートン号事件」が起きました。

 

事件そのものは平和的な解決を見ますが、その後もイギリス船の出没が相次ぎ、1825年に幕府は「異国船打払令」(いこくせんうちはらいれい)を発令し、外国船は発見次第、砲撃し追い払うようになります。

 

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また、幕府はこの事件を機に、英語知識が不可欠であると感じ、英語研究を進めました。

 

その結果、1814年に完成したのが、わが国初の英和辞典「諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)」です。およそ6000語の単語の発音が片仮名で記されていました。

 

ジョン・マンが英語の先生に!

1841年に漁に出ていた4人の漁師が嵐にあって遭難、アメリカ船に助けられます。

 

4人はそのままアメリカに連れていかれますが、その中の一人、中濱 萬次郎(なかはま まんじろう)は米国の学校で、数学、測量、航海術などを学び、何と首席で卒業しました。

 

1851年に帰国をすると、土佐藩の士分に取り立てられ、藩校「教授館」の教授に任命されます。

 

ジョン万次郎によって、わが国にはネイティブのものに近い英語が広められることになります。

 

彼はわが国初の英語教本「英米対話捷径」を著し、これが英語教育の基礎となりました。

 

英語学習の基本は素読!?

江戸時代における通訳は、万次郎のような例外をのぞき、代々世襲でした。

 

親から子へと語学が受け継がれますが、その学習方法の基本は、何度も文章を音読することでした。

 

先生が読み上げると、生徒はその節回しや発音をまねして読み上げる。これを繰りかえし行うことで、外交に使えるほどの語学力を身につけていたということです。

 

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