江戸時代の風呂

江戸時代のお風呂は庶民の社交場的なサロンでした

江戸時代のお風呂は庶民の社交場的なサロンでした

江戸っ子はお風呂が大好きな人たちでした。

 

江戸時代の初期には新しい街づくりが始まり、全国から土木・建設作業員が上京しましたが、働いた後の土やほこりにまみれた身体をきれいにするために、風呂が欠かせなかったのです。

 

そのため、銭湯が急発達し、江戸の町中にいくつもの湯屋ができました。

 

朝晩2回はいるというほどの風呂好きは珍しくなく、銭湯はいつもはやっていました。そうした混雑をさけるために、八丁堀の旦那方(与力や同心たち)は早朝に女湯に入ることもあったそうです。

 

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男湯にだけ2階があった!?

江戸時代には自宅に風呂のないのが普通でした。武士や裕福な商人たちですら銭湯通いをしていました。

 

武士たちは銭湯に来るときにも刀を身につけているため、入る前に刀をとらなければなりません。

 

刀を置く場所が必要だったため、男湯にだけは2階に座敷が設けられていました。

 

ただ、混雑する銭湯の場合、空いている早朝に来て女湯に入る旦那衆がいたために、女湯にも刀置場が設置されているところもありました。

 

刀置場はサロンになった!?

もともとは武士のための刀置場としてつくられた2階のお座敷は、次第に用途が変化していきます。

 

銭湯が副業として2階席を活用するようになったのです。

 

囲碁や将棋、読み物を置いたりして武士に限らず誰もが楽しめるサロンにして、お茶やお菓子、酒などを供するようになりました。

 

風呂の2階は入浴客の休憩所としてはやりはじめ、身分に関係なく人々が歓談し楽しめるサロンになっていきました。

 

江戸時代の銭湯は身分に関係なく老若男女が集まる場所でしたので、職業や貧富の別なく、まさに「裸の付き合い」のできる場として栄えます。

 

江戸時代の人たちにとっては、風呂場は大切なコミュニケーションの場になりました。

 

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銭湯の料金は100円〜200円くらい!?

最初に江戸に銭湯ができたのは、1591年のことです。

 

銭瓶橋(現在の千代田区大手町)のほとりに伊勢出身の与一という人が開業しました。

 

当時の入浴料は1文だったそうですが、寛永年間(1650年頃)には6文になり、寛政年間(1800年頃)には10文になっています。

 

当時の貨幣価値を現代におき替えるのは難しいですが、1文を20円として、120円〜200円程度だったのでしょう。

 

夜のお風呂は真っ暗闇!?

現代でこそ風呂に入るのは夜とだいたい決まっていますが、江戸時代には電灯がありません。

 

ちょうちんなどの明かりはあったものの、遅い時間帯は真っ暗闇に近かったと考えられます。

 

湯船に入る際に人の頭を踏みつけてしまったりぶつかったりということが起こり得るため、掛け声をかけて入っていました。

 

式亭三馬の「浮世風呂」にも、「田舎者でございます。冷物でござい、御免なさいといい、あるいはお早い、お先へとのべ、あるいはお静かに、おゆるりなどという類、すなわち礼なり」とあります。

 

声をかけて湯船に入るのが、マナーだったのです。

 

マイ風呂桶もあった!?

風呂で他人と桶を共用するのは嫌だ、という人もいるでしょう。

 

江戸時代にもそういう人はいました。そこで、風呂には「留桶」(とめおけ)というシステムがあり、自分の名前を書いた専用の桶をキープしておくこともできました。

 

ほとんどの女性が留桶を持っていたそうです。

 

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