江戸時代の人の平均身長はどれくらいだったのでしょうか?
かつて欧米諸国の人々からは、日本人といえば「チビ」と思われていました。
現在では、わが国の男女の体格はずいぶん立派になり、ヨーロッパの人々とほとんど変わらなくなってきています。
実は60年ほど前と比べると、日本人の身長は男女とも10センチほど伸びているのです。
では、江戸時代には日本人の身長はいったいどれほどだったのでしょうか?
また、歴史上の偉人たちはどの程度の身長だったのでしょうか?
男性は157cm、女性は145cm
過去にさかのぼって身体検査をすることはできませんので、江戸時代の身長の平均値を正確に知ることはできません。
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しかし、身分の高い人たちは身長を測る習慣を持っていたため、ある程度の資料が残されています。
また、科学的な方法をもちいて推定することもできます。埋葬された人骨を採取し、その長さから身長が推定できるのです。
ひとつふたつのサンプルでは平均を知ることはできませんが、何十体もしらべると、おおよその値を推定できます。
調査した学者によって異なりますが、だいたい男性は155cm〜157cm、女性は143cm〜145cmほどであったと考えられています。
決して高くはありませんが、昭和初期と比べるとそれほど大きな差はありません。
古墳時代の人の方が背が高かった?
江戸時代の人は現代よりも身長が低かったということは、それよりも前の時代にはさらに低かったと想像されます。
ところが、科学的な調査によると、古墳時代の方が背が高かったのです。
奈良時代の頃の男性の平均は163cmほど、女性は152cmほどと推定されています。
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食生活が日本人の背丈を低くした
どうして、江戸時代の人たちよりも奈良時代の人たちの方が身長が高かったのでしょうか?
それは食生活の変化によるものという説があります。縄文時代から弥生時代にかけて、狩猟生活から農耕生活へと変化しました。
それに伴い、獣肉中心の食事から米中心へと変わります。さらに、鎌倉時代前後から宗教的な影響によって肉食をさけるようになり、肉類をとらなくなりました。
また戦国時代、江戸時代になり武士中心の世の中となりますが、ぜいたくな暮らしをしていた貴族と違って、武士たちは米と魚をとる質素な食生活をしました。
こうした食生活の変化にともなって、動物性たんぱくの摂取量が減り、身長が低くなったと言われています。
徳川家康は159cmだった!?
江戸時代の将軍たちはどの程度の身長だったのでしょうか?
さまざまな研究から初代将軍の徳川家康は159cm、2代の秀忠は160cm、3代家光は157cmと推定されています。
驚くべきは5代将軍の徳川綱吉、なんと124cmと小柄だったと言われています。
徳川の将軍たちはだいたい150cm〜160cmと日本人の平均並みの身長で、特別高い人はいなかったようです。
なお、坂本龍馬は173cm、西郷隆盛は179cmだったという推定値もあります。
ちなみに、背が低いことにコンプレックスを抱いていたといわれるナポレオンは167cmと推定されています。
もしナポレオンが日本人だったなら、コンプレックスを持たずに済んだことでしょう。
体重に関してはよくわからない
身長については測る習慣を持つ人もいましたが、体重についてはあまり資料がありません。
「養生訓」で有名な貝原益権は自分の体重をよく管理していたことが知られていますが、そういう人はまれでした。
人骨を調べれば身長はわかりますが、体重まで正確に推定するのは難しく、あまりよく分かっていません。
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