江戸時代の日本の数学は世界トップレベルだったって本当?
現代のわが国には著名な数学者が数多くいて、世界的に見てもトップクラスと言えます。
現在の学校教育で学習するタイプの数学は、明治時代にヨーロッパから入ってきたものです。
そのため、江戸時代以前のわが国にはあまり大した数学はなかったと思われがちですが、実は世界レベルと比較しても、決して劣ることのない水準でした。
和算という数学があった!?
もともと数学は中国から伝わってきたものです。
7世紀以降に遣唐使や遣隋使として派遣された人々が、大陸で学んだ学問を持ち帰り、国内に広めたとされています。
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既にこの頃には「九九」は一般的に知られていました。ピタゴラスの定理(三平方の定理)なども伝わっていました。
輸入された数学は、国内で独自の発展をとげ、「和算」(わざん)として、特に江戸時代に目覚ましい進歩をとげます。
その中核と言えるのは、関孝和(せきたかかず)という学者でした。
江戸時代初期には、ねずみ算が知られていました
1627年に吉田光由(よしだみつよし)という人が、「塵劫記」(じんこうき)という書を著し、そろばんの使いかたや「ねずみ算」などについて紹介しています。
寺子屋などの初等教育では、この本が大いに活用され、基礎的数学を広めるのにとても役立ちました。
以降、何人かの和算学者によってさまざまな数学書が発行されますが、「塵劫記」にならい、「○○塵劫記」というものが多かったそうです。
「鶴亀算」は和算だった!?
中学受験をする小学生が塾で学習する数学の解法に「鶴亀算」というものがあります。
例えば、「鶴と亀が合わせて35匹いて、足の数は合計で94本あるとき、それぞれは何匹ずついるか?」というような問題の解き方です。
現代の中学生以上であれば、連立一次方程式を使って解くでしょう。こうした数学的解法は和算の中にいくつもあります。
離れた場所にあるA、B二つの地点から、それぞれ速度の異なる人が同時にスタートしたときに、ふたりが出会うのは何kmの地点か?というような「旅人算」(たびびとざん)。
2組のねずみの夫婦が10匹の子を産み、親子合わせて6組のカップルが翌月にはそれぞれ10匹の子を産む。それらがまた、カップルになってそれぞれ10匹の子を産む、ということを繰り返したときに、1年後には何匹のねずみがいるか?というような「ねずみ算」。
他にも、「油はかり分け算」「寅の子渡し」などユニークなものがあります。
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円周率も和算で計算した!?
円周率については17世紀にオランダ人のコーレンという人が35桁まで計算しています。
同じころに、かのニュートンも計算にいどんでいますが、14桁まで達成しただけです。
わが国では、江戸時代の1663年に村松茂清という人が、「算俎(さんそ)」という書を著し、円周率の求め方を解説して21桁までの計算結果を示しています。世界トップレベルだったのです。
代数学も和算で!?
和算の祖といわれる関孝和は、「傍書法」という現代でいえば代数学を発案しました。
XやYを使った数式です。もちろん江戸時代にはXもYもなく、それに相当する漢字をあてはめていたのですが。
和算は江戸時代の鎖国の間に、諸外国における発展とは関係なく、わが国独自に開発され進歩してきたものです。
オリジナルに発展したにもかかわらず、世界のトップレベルにまで達していたのです。
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