江戸時代の髪型にはどのような特徴があったのでしょうか
わが国には髪型についての伝統があります。
「日本髪」と呼ばれる髪型は古墳時代から続いているとされ、埴輪(はにわ)に見られる女性の髪型もそうです。
伝統があるといっても、いつの時代も同じスタイルが継承されてきたわけではありません。
時の流れとともに、流行は変化し続けてきました。特に江戸時代には平安の世が長く続いたために、さまざまなファッションが流行し、髪のスタイルもバリエーションが豊富になりました。
男性のちょんまげはどうして流行したのか?
江戸時代の男性の髪型といえば、ちょんまげを想像される方がほとんどでしょう。
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現代的な見方をすればとても奇妙なスタイルですが、機能的な理由で開発されたものです。
戦国時代に武士たちが兜(かぶと)をつける際、頭が蒸れてしまうのを防ぐためにあのような髪形が発案されました。
普通の髪で兜をかぶっていると、中が蒸れてずれてしまうのです。
戦いの最中に兜を直していては、その間に切り殺されてしまいます。マゲをつくることで、頭と兜との間に空間ができ、水分を逃がすことができます。
ちょんまげは命を守るためのスタイルだったと言えるでしょう。
武士だけではなく町人もちょんまげをするようになったのはなぜ?
戦う人の必要性から生まれたちょんまげですが、それが武士の象徴となります。
江戸時代には身分制度が固定化されました。士農工商というヒエラルキーが成立し、トップ階層である武士は「かっこいい」ということになったのです。
いつの世も、ファッションというものは「かっこいい」から始まります。
必然的に武士の髪型をみんながマネるようになり、街の人たちも、必要もないのにマゲを結い始め、それが一般的なスタイルとなったのです。
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女性の髪型には決まりがあったのか?
男性以上に女性たちのヘアスタイルには流行がありました。
ヘアの基本構造は、額の辺りの前髪は前にたらすことなく後ろに流し、側頭部のビン(鬢)はふわりとふくらませます。
頭頂部のマゲ(髷)の部分は大きくふくらませ、うなじ側のタボ(髱)は大きくしたり小さくまとめたりします。
この4つの部分をどういう形にするかで、女性の髪型は決まりますが、さらにクシやカンザシ、花コウガイなどで飾り立てました。
既婚者と未婚女性とはスタイルが異なっていた!?
既婚者かそうでないかをアピールすることは、女性にとって大切な問題です。
独身なら街で声をかけられ素敵な恋が芽生えるかも知れません。
逆に既婚なら変なうわさがたたぬよう、あらかじめ男性との間に一定の距離を置こうとするでしょう。
そこで、江戸時代の女性たちは髪型によって、一目で結婚しているかどうかを分かるようにしていました。
ざっくりといえば、未婚女性は島田髷(しまだまげ)、既婚は丸髷(まるまげ)にするのが基本です。
島田というのは古墳時代の巫女のスタイルが発祥の髪型で、和式の結婚式で結われる「文金高島田」に象徴される古典的な髪型です。
丸髷は時代劇などで年配の女性がしているトップ(まげ)部分を風船のように大きく膨らませた形です。
流行もさまざまでした
江戸時代の女性の髪型は300種類もあったとされ、流行を求めて女性たちはいろんなものにチャレンジしていたようです。
新スタイルを生み出すのは吉原などの高級遊郭で、人気遊女が流行らせていました。遊女はいわばファッションリーダーだったわけです。
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