江戸時代にはどのような拷問が行われていたのか?
江戸時代の犯罪捜査の時代劇では、しばしば拷問の場面が登場します。
岡っ引き(おかっぴき)と呼ばれる警官が、容疑者に自白を迫るために、縄で縛って木からつり下げてムチでたたいたり、溺れそうになるほど顔を水につけたりします。
実際に江戸時代にはそうした捜査方法がとられていたことは確かですが、ドラマや映画で描かれる世界は、かなり大げさで、事実と異なる演出がなされているようです。
わが国における犯罪捜査は、江戸時代においてもかなり高度な倫理観を持って行なわれており、岡っ引きが自己判断で拷問するなどということはできませんでした。
拷問をする条件や方法も限定されており、自白をミスリードしないような配慮もなされていたのです。
拷問の種類にはどのようなものがあった?
江戸時代以前からあった拷問方法としては、水責め、駿河問い、木馬責め、塩責めなどがあります。
水責めは、その字のごとく水を使うものですが、いくつかの種類があります。
江戸時代に行われたのは、「水牢」と呼ばれるもので、腰の高さくらいに水の入ったお風呂のような牢屋に閉じ込めるものです。
あまり厳しくなさそうに感じられるかも知れませんが、横になれないために眠ることができません。
体温が奪われるため夏でも寒く、次第に皮膚がふやけて裂けてしまいます。
駿河問いは、両手と両足を背中側で縛りあげてエビぞりにし、その上に石をのせてぐるぐる回転させます。背骨がひん曲がり大きな苦痛を与えられます。
木馬責めは、三角木馬と呼ばれる背の部分がとがった木馬に全裸でまたがらせて股間に苦痛を与えるものです。石などでおもしをつけることもありました。
塩責めは、肌に刃物で傷をつけ、そこに塩を塗りつけるもの。俗に「傷口に塩を塗る」という言い回しを使いますが、塩には痛みを強烈にする効果があります。気を失うほどの痛みだそうです。
あまりにヒドい方法は制限されました
自白中心の捜査に問題があることは江戸時代にも認識されており、また、強烈な拷問は人道的にも好ましくないと考えられていました。
そうした背景から、1742年に公事方御定書が制定され、拷問方法が限定されます。
水責めなどは禁止され、むちうち、石抱き、エビ責め、釣り責めの4種類に限定されました。
「むちうち」「石抱き」「エビ責め」よりも「釣り責め」がきつい
むちうちはその名の通り、むちで打ちつけるものです。
石抱きは1枚50kgほどの石の板を、正座した膝の上に何枚か重ねて乗せるものです。
エビ責めは、縄でアゴと足首が密着するほどに身体を縛り上げ苦痛を与えるものです。
釣り責めは裸にされ縛りあげられてつり下げられるものでした。
拷問には許可が必要だった!?
拷問は死刑となるほどの重犯罪の疑いがある場合で、かつ、十分な証拠の裏付けがなければ行うことはできませんでした。
実施に当たっては老中の許可が必要で、おいそれと行われることはありません。
時代劇などでは、岡っ引きが拷問する場面が登場したりもしますが、そもそも彼らにそんな権限はありません。
岡っ引きというのは最下級の警官で、現代でいえばアルバイトです。同心が捜査に当たる際に帯同して手伝いをするだけの係でした。
ちなみに時代劇で「捕物」とか「捕物帖」という言葉が使われますが、捜査の報告書のことを「捕物帖」と呼んでいました。
江戸時代を含めて日本は識字率が高い社会だったため、拷問に関する記録も、この捕物帖を含むさまざまな文献に残されています。