江戸時代の渾名

江戸時代の渾名(あだな)のつけ方が面白すぎる〜飲兵衛・助兵衛

江戸時代の人は渾名のつけ方がとても上手だった?

よくお酒のみの人を飲兵衛(のんべえ)といったり、エッチな人を助兵衛(すけべえ)といったりします。

 

実は、これは江戸時代から使われている渾名(あだな)なのです。

 

江戸時代の人はこういった渾名をつけるのが得意で、ほかにも「ぐずろ兵衛」や「土左衛門」、「石部金吉(いしべきんきち)」「虚田万八(うそだまんぱち)」などユニークな渾名がたくさんありました。

 

ここでは、実際に江戸時代に使われていた渾名とその由来や意味などについて考えてみたいと思います。

 

江戸時代には「兵衛」のつく渾名が多かった

エッチな人のことを「スケベ」といいますが、これは江戸時代にそういった人のことを「助兵衛」と呼んでいたことから来ています。

 

「助平」と書くこともあるようです。

 

この渾名の由来には、さまざまな説があるようです。

 

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実際に「助兵衛」という人物がいたとう説もありますが、「女好きな人」のことを「好き兵衛」と呼ぶようになって、それがなまって「助兵衛」になったという説が有力です。

 

江戸時代の人は、極端に何かに執着する人のことを「●●兵衛」というように、「兵衛」をつけて呼ぶことが多かったようです。

 

お酒のみの人を「飲兵衛」というのは、まさにそのままですね。

 

「ぐずろ兵衛」もまさにそのままで、ぐずぐずしている人のことをそう呼んだわけです。

 

また、田舎者のことを「権兵衛(ごんべえ)」や「八兵衛」ということが多かったようです。

 

田舎にいくと権兵衛や八兵衛という名前の人が多かったので、地方の人が江戸にでてくるとそう呼ばれたのでしょう。

 

水戸黄門に出てくる「うっかり八兵衛」は、うっかりしている田舎者ということになってしまいますね。

 

左衛門がつく渾名もいろいろとありました

江戸時代には「兵衛」だけではなく「左衛門」のつく渾名もたくさんありました。

 

当時は、どちらも一般の名前に多く使われていたものなので、渾名にもそのまま使われるようになったのでしょう。

 

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左衛門のつく渾名で誰でも知っているのが「土左衛門(どざえもん)」ではないでしょうか。

 

水死した人のことをそう呼んだわけですが、「水」で死んだ人のとこと「土」と呼ぶのはなんとも不思議ですね。

 

享保年間に活躍した力士に「成瀬川土左衛門」という色白でかなり太った人物がいて、水死して水ぶくれした死体がその力士と似ていたのでそう呼ぶようになったといわています。

 

これは山東京伝の近世奇跡考に書かれていることですが、真偽のほどは分かりません。

 

左衛門のつく渾名で面白いのが「嚊左衛門(かかあざえもん)」です。

 

これは、自分の亭主を尻に敷く古女房のことを、亭主が陰でそう呼んでいました。

 

男性ではなく、女性に対する渾名に左衛門がつくというのは、強い女性に対する皮肉でしょうか。

 

さらに仰々しく「嚊左衛門の尉(かかあざえもんのじょう)」などということもあったようです。

 

どれだけ尻に敷かれていたのか、情景が目に浮かぶようですね。

 

思わず笑ってしまうユニークな渾名

江戸時代に使われた渾名は「●●兵衛」や「●●左衛門」ばかりではありません。

 

まさにそのものズバリの、思わず笑ってしまうような渾名もたくさんありました。

 

たとえば「虚田万八(うそだまんぱち)」という渾名です。

 

ウソをつく人のことをそう呼んだということは想像がつくと思いますが、「万八」というのはどういう意味でしょうか?

 

いつもウソばっかりいっていて、本当のことは万に八つくらいしか言わないという意味らしいです。

 

こういった渾名のつけ方を見ると、江戸の町の人たちは本当にユーモアセンスが抜群だったことが分かりますね。

 

面白いところでは「十六兵衛」などという渾名もあります。

 

欠点が2つある人物のことをそう呼んだようです。

 

たとえば、短気でケチな人がいたとしたら「短気な奴(八つ)」と「ケチな奴(八つ)」ということで、八と八を足して十六となるわけです。

 

座布団を1枚あげたくなるほどのセンスの良さですね。

 

また、堅物で融通が利かない人のことを「石部金吉(いしべきんきち)」といいますが、石も金も硬い物質であることから、それを2つ組み合わせたのでしょう。

 

「石部屋の金左衛門」ということもあったようです。何だか本当に硬そうですね。

 

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