損料屋で大人気レンタル商品はふんどしだった
現代ではレンタル業が非常に盛んですが、実は江戸時代にも「損料屋」と呼ばれるレンタル業者が存在しました。
現代人は、レンタルをする商品というとクルマや成人式の着物など高価なものをイメージすると思いますが、江戸時代の損料屋の主力商品は、なんと「ふんどし」でした。
そもそも下着をレンタルするという感覚は、いまの人には理解不能だと思います。
他人のはいたパンツをレンタルしても、誰も借りる人などいないはずです。
江戸時代のふんどしは高額商品でした
いまどきパンツなんて、スーパーのセールなどで購入すれば、3枚セットで980円ほどの値段で買えてしまいます。
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よほどブランドにこだわっている人でもなければ、パンツが高いというイメージを持つ人はあまりいないでしょう。
ところが江戸時代のふんどしは、想像以上に高価だったのです。
当時は、ごく一般的な6尺ふんどしが250文もしたのです。
これは、現代の貨幣価値になおすと、5,000円ほどになります。
もし普通のパンツが1枚5,000円だといわれたら、けっこう身構えてしまう人もいるに違いありません。
それほど、江戸時代のふんどしというのは高級品だったのです。
損料屋にふんどしを借りに来る主なお客は、足軽などの下級武士が多かったようです。
身分の低い武士たちにとって、1枚5,000円もする6尺ふんどしというのは、気軽に買えるような代物ではなかったわけです。
大の男がふんどしを洗濯をするというは屈辱だった?
損料屋のふんどしレンタルビスネスが繁盛したのは、確かにふんどしの値段が高かったということもありますが、実はそればかりではなかったようです。
実は、江戸の長屋の住民には、独身の男性が多かったのです。
江戸の町では男女の比率が、男性100に対して女性は55程度だったようです。
江戸という町が各地からの労働力を集めて人工的につくられた都市であったため、多くの男性労働者が流れてきました。
また、参勤交代などで地方からきた独身の武士たちも多くいましたし、丁稚奉公として商家に修行に来る若い男性もたくさんいました。
そうした諸々の事情により、江戸の町には独身男性があふれていたわけです。
独身であれば、炊事や洗濯を自分でやらなければなりません。
しかし、武士にとって自分のふんどしを自分で洗うというのは、相当の屈辱だったに違いありません。
しかも江戸の長屋では、洗濯は外にある共同の井戸脇で行われるのが一般的です。
洗濯をする長屋の女性たちに交じって、大の男が自分のふんどしを洗うなどというのは、武士として耐えがたきことだったと思われます。
損料屋に使用済みの汚れたふんどしを持って行くと、代わりにきれいに洗濯をして「火のし(現代のアイロン)」をかけたふんどしを貸し出してくれたわけですから、繁盛したのもうなずけます。
決して安くはない損料屋のふんどしレンタル代
このように、さまざまな事情によりビジネスとして繁盛をしていたふんどしレンタル業ですが、実はそのレンタル料金は決して安くはありませんでした。
汚れたふんどしを返して、新しいふんどしを借りるときに支払う料金は、60文程度であったといわれています。
現代の貨幣価値になおすと、1,200円にもなります。
ふんどしのレンタル料が1,200円というのは、ちょっと驚きですね。
4〜5回レンタルしたら、新品のふんどしが買える金額です。
そういったことを考えてみますと、ふんどしそのものの値段が高かったことよりも、自分で洗濯をしなくて済むということの方に、多くのメリットを感じていたのかも知れません。
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しかし、ここでカンの良い方は気がついたと思います。
ふんどしの1回のレンタル料が1,200円もしたということは、毎日借りていたら1ヵ月あたり36,000円にもなってしまいます。
いくら自分で洗濯するのが嫌だったとしても、さすがに毎月ふんどしにこれだけのお金を出せるほど、江戸の下級武士たちは裕福ではなかったはずです。
カンの良い方は、またまた気がついたかも知れませんが、実は江戸時代の男性は普段はふんどしなど身に着けていないことが多かったのです。
当時の女性が着物のしたに下着をつけていなかったことは広く知られているところですが、実は男性も普段は下着をつけていなかったのです。
祭りのきなどは、着物のすそをたくし上げることが多かったために、さすがにふんどしをしていないとまずいとうことで、損料屋にいって借りてきたわけです。
損料屋で借りることができたさまざまな物
損料屋で借りることができたのは、6尺ふんどしばかりではありません。
他にも布団や衣服、手ぬぐいとったものも貸し出しをしていたようです。
特に祭りのときになると、ふんどしと同様に借りに来る人が多かったのが、浴衣です。
普段はよれよれの古着を身に着けていた江戸の町人たちも、祭りのときだけは少し見栄をはってきれいな浴衣を着たかったのでしょう。
また冠婚葬祭や旅行のときに使うさまざまな用品なども、損料屋から借りて使っていました。
実は、江戸の住民たちはあまり物を持っていなかったのです。
もちろん、それには経済的な理由もありましたが、それ以外にも長屋の部屋の狭さや火事の多さなども、物を持たないことの大きな理由になっていました。
江戸の町は本当に火事が多かったため、家財道具を買いそろえても灰にしてしまっては馬鹿らしいと考える人も少なくありませんでした。
さらに、住んでいる長屋の狭さは想像以上で、炊事場を兼ねたわずかばかりの土間と、4畳半の部屋に家族全員が生活をしていました。
押し入れなどもなかったために、物を買いこんでも置いておく場所がなかったのです。
「江戸っ子は宵越しの金は持たない」という言葉はよく耳にしますが、実はお金だけではなく「宵越しの物」も持たなかったのです。
こうした物を持たないという江戸長屋の住民たちのライフスタイルが、損料屋を繁盛させることになったのでしょう。
ちなみに、この損料屋は明治時代以降になっても生き延び、やがて貸衣装屋と呼ばれるようになりました。
成人式には多くの女性が着物を借りにいく貸衣装屋ですが、江戸時代にはふんどしを貸し出していたと知ったらちょっとショックでしょうね。
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