切り捨て御免の真実

武士は本当に「切り捨て御免」で町人を問答無用で切り殺したのか?

武士は本当に「切り捨て御免」で町人を切り殺したのか?

江戸の町における武士の特権の一つに切り捨て御免があります。

 

武士が町人や農民から耐えがたき無礼を受けた時には、その場で切り捨てても罪に問われないというものです。

 

確かに「切り捨て御免」の制度は公事方御定書の追記事項として記されており、法的な裏付けがあったことは確かなようです。

 

しかし、武士は本当に自分の気に入らない町人や農民を怒りにまかせて切り捨てていたのでしょうか?

 

ここでは「切り捨て御免」の真実について解説してみたいと思います。

 

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切り捨て御免をする方も実は命懸けだった!?

当時、切り捨て御免の制度は、いわゆる正当防衛の一つとして正式に認められていました。

 

そして、切り捨て御免が認められる条件としては、武士として耐えがたき無礼を受けた時となっています。

 

では、具体的のどのような無礼を受けた時に切り捨て御免は認められたのでしょうか?

 

そもそも何を持ってして「無礼」と判断するのかが難しいところですが、一般的には武士に対して故意に衝突したり妨害行為があった場合とされています。

 

時代劇などで見られるように、町人が武士に暴言を吐いた程度で切り捨て御免になることは、まずなかったと思われます。

 

しかも、うっかり切り捨て御免をしてしまった場合、そのあとが大変なことになります。

 

切り捨てた武士は、自分が切捨御免をするだけの無礼を受けたということを、証明しなければならないのです。

 

もしそれが証明できないとなると、逆に自分の立場が危うくなります。

 

最悪の場合は、人ひとりの命を奪ったとして、斬首刑となり家の取りつぶしを受けることもありました。

 

そのため、実際に武士が切捨御免を行った時には、無礼があったことを証明する証人が重要となりました。

 

もし証人が見つからなければ大変なことになるので、家人たちは必死に証人探しをしたようです。

 

仮に証人が見つかったとしても、人を一人切り殺したことに対する報いは受けなければならず、20日以上にわたる自宅謹慎を申し付けられることになったようです。

 

このように、切り捨て御免をする側の武士も命がけであり、時代劇などに見られるように、気に入らない町人や農民をバッタバッタと切り殺すということは決してなかったのです。

 

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大名行列を横切っても切り捨て御免にはならない?

江戸の町人がもっとも遭遇しやすい切捨御免の場面といえば、大名行列を横切った場合です。

 

薩摩の島津久光の列を横切った英国人を切り捨てた生麦事件はあまりにも有名です。

 

本当に大名行列を横切ると切り捨て御免にされたのでしょうか?

 

結論から言うと、そのようなことは滅多に起こらなかったようです。

 

それどころか、信じられないことに大名行列の供先を切っても、お金で勘弁してもらえるなどということが日常茶飯事的に起こっていたようです。

 

ある十歳の少女が、津軽の大名行列の供先を切ってしまったことがありました。

 

もちろん、意図的ではなく出会い頭の出来事だったために避けようがなかったとのことです。

 

彼女は侍の襟首をつかまれて、そのまま引き戻されたが、その場は何事もなく済みました。

 

しかし、その後に供頭の侍が娘の家までやってきて「お前の娘が行列の供先を切った」と脅します。

 

娘の父親は、大いに狼狽して地面に頭をこすりつけるようにして平伏しながら、侍に十両を手渡します。

 

すると、侍はない何事もなかったかのように、その場を去ったとのことです。

 

娘の命が十両で助かるならば安いものですが、それにしても、大名に働いた無礼の対価が十両とは大名の権威もずいぶん落ちたものですね。

 

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