時代劇に登場する月代を伸ばした浪人は本当は町を歩けない!?
時代劇にはしばしば浪人と称する、髪をボサボサに伸ばした落ちぶれた武士がしばしば登場します。
また、年配の方であれば「素浪人 花山大吉」という近衛十四郎(松方弘樹の父)が主役の時代劇を覚えている方も多いことでしょう。
焼津の半次とのコミカルなやり取りや半次を怒る時の「バカタレが〜!」というセリフがなんとも面白く、大人気のテレビドラマでした。
花山大吉は、悪人をバッタバッタと切り捨てるめっぽう強い浪人であったにもかかわらず「おから」が大好きで、緊張したり驚いたりすると「しゃっくり」が止まらなくなるというなんともお茶目な浪人でもありました。
時代劇では、これらの浪人が江戸の町を何事もなく歩いている場面がしばしば登場しますが、実際に月代をボサボサに伸ばした浪人が堂々と江戸の町を歩くというのは考えられないことでした。
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浪人が江戸の町に入ると町奉行に捕まった?
浪人は、江戸の初期のころには「牢人」と書かれたほどで、基本的には追い払いの対象となっていました。
特に浪人が江戸の町に入ると、無宿者として町奉行に捉えられてしまいました。
まさに牢屋に入れられた「牢人」ということになってしまったわけです。
本来、町奉行は武士には手出しは出来ないのですが、浪人だけは例外で取締の対象となっていたのです。
場合によっては、佐渡の鉱山に人足として送られてしまうこともあったようです。
ですから、時代劇のように、ボサボサ頭で二本差の浪人が、江戸の町を肩で風を切って歩くなどということは絶対にあり得なかったのです。
まさに、時代劇の中だけの風景と言えるでしょう。
月代を剃らずに外出することは御法度だった
浪人のトレードマークとも言えるボサボサに月代を伸ばしたザンバラ髪ですが、江戸の町をこのヘアースタイルであることは基本的に出来ませんでした。
今の若い人たちの奇抜な髪型からは想像もできないことですが、江戸では月代を伸ばして外出することは御法度だったからです。
武士も町人も必ず月代を剃っていました。そうしないと外出できないのでから、当然です。
時代劇において浪人のトレードマークとも言えるあの髪型は、まさに捕まえてくれと言わんばかりのありえない髪型だったのです。
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江戸の町はことさら身だしなみにはうるさかった
江戸時代は、月代に限らず身だしなみが重要視され、こと細かに身だしなみについて規制されていました。
たとえば、武士が懐に手ぬぐいを入れているときは、何人たりとも道を譲るしかありませんでした。
懐に手ぬぐいを入れているということは、公用で仕事をするために歩いているという目印なので、すべてにおいて最優先されたのです。
また、武士も町人も扇子を帯にさしていましたが、これも身だしなみの一つであって、決して暑い日にバタバタと扇ぐためのものではありませんでした。
外出のときは帯にさしておき、ひとたび部屋に入ると帯から抜いて手に持つのが礼儀だったのです。
そして座敷に入ったら、その扇子を前方に置くのが決まりせした。
暑いからとって、扇子を全開に開いて顔をバタバタと仰ぐなどというのは、実に失礼千万なことでした。
仮に顔を仰ぐとしても、ほんの少しだけ開いて、他人に見られないようにしてコソコソとやりました。
このように、江戸の町を歩くには、髪型だけではなく、このようなさまざまな身だしなみに関する決まりがあったのです。
そういう意味では、江戸の町は決して住みやすい町とは言えなかったかも知れませんね。
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