時代劇の捕物に登場する「御用」の提灯を持った男たちの正体
手に御用」と書かれた提灯と六尺棒をもった大勢の男たちが、犯人を捕まえにくるシーンを時代劇でよくみかけることでしょう。
時代劇の中の捕物しか知らない我々は、江戸の町にはそういった光景が日常的に見られたと思いがちです。
そして、あの提灯と六尺棒をもった男たちも、幕府の役人たちに違いないと思い込んでいる人も多いことでしょう。
しかし、実際には江戸時代にはそのような役職はなかったのです。
それではいったい、あの「御用!御用!」と叫ぶ男たちは誰なのでしょうか?
武士でも町人でもない与力や同心
江戸には南町奉行所と北町奉行所があり、毎月交代で江戸の町の訴訟を受け付けてしました。
スポンサーリンク
実は、あの「御用」の提灯片手に犯人を捕まえに駆けつける例の男たちのような職種は、町奉行所内にはなかったのです。
江戸町奉行所には、南北合わせて50人ほどの与力がおり、その下に240人の同心がいました。
基本的に、彼らが岡っ引きと呼ばれる手下を使って江戸の警察活動を行っていたわけです。
実際には、その下に中間と呼ばれる役職のものが290人いましたが、彼らはいわゆる雑用係となります。
江戸町奉行所に所属する与力や同心は、身分的には武士でも町人でもありませんでした。
単に、江戸町奉行所に雇われた役人ということになります。
事件のときだけ臨時に集められた民間人のアルバイト
では、あの捕物劇に登場する、あの提灯と六尺棒の男たちは何者なのでしょうか?
与力や同心の雑用係である中間でしょうか?
いえ、違います。
実は、彼らは浅草の車善七や品川の松右衛門などといった、無宿者や浮浪民を預かっている頭(かしら)たちが、奉行所から依頼されて自分の配下ものを動員したのです。
現代風に言うなれば、警察から依頼をうけた民間のガードマンといったところでしょうか。
そのため、時代劇のように提灯と六尺棒を持って「御用だ!御用だ!」と大勢の男たちが犯人を追い詰めるというようなシーンは滅多に起こらなかったのです。
時代劇のように、事件が起こるたびにいつもあのような捕り方が行われると考えるのは間違いだということになります。
スポンサーリンク
銭形平次は普段は十手を持ち歩けなかった!?
ちなみに、銭形平次などの岡っ引きと呼ばれる人たちは、与力や同心などの指示で働く民間人です。
彼らは、普段は正業について、いざ捕物があったときにアルバイトとして出動していたのです。
そのため、時代劇に出てくる岡っ引きのように彼らが十手を下げて普段から江戸の町をぶらぶら歩くなどといことはありえませんでした。
そもそも、非常勤である彼らには十手を預かる資格はなく、事件が起きた時にだけ役所に借りに行ったのです。
ちなみに、時代劇では岡っ引きが持つ十手に房がついていることが多いようですが、実は房のついた十手は同心以上のものに許されるものです。
銭形平次ファンの方には申し訳ないのですが、それが岡っ引きの真実なのです。
そんな岡っ引きたちにも部下がおり、彼らは「下っ引き」と呼ばれていました。
ほとんど仕事をしなかった与力と同心
このように、江戸時代の捕物は、与力、同心、岡っ引き、下っ引きと下の組織に流れていくようなシステムになっており、犯罪捜査のほとんどは岡っ引き以下のものたちが行い、与力や同心たちのやる仕事はほとんどなかったようです。
ただし、岡っ引きたちが目星をつけた犯人を縛るのは同心の仕事で、岡っ引きが犯人を捕まえて縛る権限はありませんでした。
そういう意味では、銭形平次が腰に下げていたお縄も、ただのアクセサリーといえそうです。
このように、江戸時代の警察システムは、役人と民間人がうまく協力し合うことで成り立っていたのです。
スポンサーリンク