徳川家光が男色だったというウワサは本当なのか?
3代将軍徳川家光は、実は男色であったといわれています。
戦国時代、大名の中には男色が多かったことはよく知られています。
当時女性は不浄といわれ、出陣の前には女性に触れるのは縁起が悪いので近寄らなかったそうです。
そのため小姓をつけて男色に走る人が多かったと言われています。
3代将軍家光の時代においても、天下泰平の世の中に変わったとはいえその当時の名残はあったようです。
しかし、男色であるといわれつつも、家光はしっかりと世継ぎも残しています。彼は本当に男色だったのでしょうか?
女性に興味を示さない家光に困り果てた春日局
家光が男性に興味を持つ傾向は、子供のときにすでに始まっていたようです。
当時、風紀が乱れるという理由で歌舞伎も男性のみで行われるようになりました。
少年俳優の演じる歌舞伎が盛んでしたが、家光はこれに大いに関心があったようです。
そしえ、自分自身も化粧をして歌舞伎の真似事をするようになりました。
徳川実紀の記録によると、家光は16歳のときに坂部五右衛門という小姓を切り捨てています。
その理由はあいまいなようですが、一説によると坂部五右衛門が他の男と戯れていたことを知って、嫉妬からくる怒りにまかせて切り捨てたようです。
一方で、小姓の酒井重澄は特に家光のお気に入りだったようです。
そのため彼は10代という若さで2万5千石を有する大名に出世しています。
しかし、そののち酒井重澄が4人の子をもうけたことを家光が知ると、これまた嫉妬によって怒りを買い、領地は没収されてしまいました。
これらの残された記録からも分かるように、家光は相当に男色に傾いていたようです。
さすがにこのままでは世継ぎが出来ないので、乳母である春日局も相当にあせりを感じたことでしょう。
家光が子供のころ、2代将軍秀忠夫婦はなぜか家光があまり好きではなかったようで、家光の弟である忠長を寵愛し世継ぎにと考えていました。
しかし、そのことに対して納得のいかない春日局が家康に直訴し、家光が3代将軍になるということを確定させます。
その結果として春日局は、3代将軍の乳母として絶大の権力を得ることになります。
しかしながら、家光の男色のおかげで世継ぎが生まれないとなると、こんどは自分の立場や家族の立場が危うくなってしまいます。
そのため、春日局はなんとか家光に世継ぎを作らせようと必死で奔走していたようです。
家光に寵愛され老中にまでなった堀田正盛
いつの時代でも、上司にかわいがられ出世する人がいますが、堀田正盛という人物もかなりのスピードで出世街道を登っていきました。
家光が3代将軍となってから、堀田正盛が17歳のときに小姓組の番頭になり、24歳の時には2万5千石を有する六人衆になります。
26歳の時には老中にまで出世し、3万5千石を有する城主となります。
29歳の時には、さらに10万石となり老中として主な実務を任せられ家光を裏から補佐するようになりました。
10年足らずでこれだけの出世を果たすというのは尋常ではありません。周りからの嫉妬や圧力もかなりあったことでしょう。
ここまで異常な早さの出世となれば、家光との男色関係から来る「えこひいき」による出世だったと考えるのが自然でしょう。
その証拠に、家光が死去したとき堀田正盛も殉死したといわれています。
死んでもなお家光に尽くしたいという気持ちもあったのでしょうが、一方で家光なきあとの周りの嫉妬による圧力から家族を守るために、殉死という道を選んだ可能性もあります。
そもそも大奥は家光の世継ぎに困って作られた?
家光は19歳のときに結婚しますが、正室とは相性が悪かったようで夫婦生活は皆無だったようです。
そのため、この正室との間に子供はもうけませんでした。それどころか正室を大奥からは追放し、ほぼ軟禁生活を強いて冷遇しました。
このようなこともあり、家光が30代になっても彼に世継ぎはありませんでした。
これは本当に江戸幕府にとっては非常事態です。
将軍の世継ぎがないとすれば,大名たちの世継ぎの推薦合戦が始まり、幕府が分裂する可能性すらあります。
そうなってしまうと、3代将軍の乳母として絶大な権力を持っていた春日局も自分の立場が危うくなりますから、いろいろと必死に策を練っていたに違いありません。
その一つが大奥です。
もともと大奥というものは、家康の時代から存在していましたが、私たちのよく知っている多くの女性が集められた大奥とは違った形のものだったようです。
それが現在私たちが知っているような大奥の形になったのは、家光の世継ぎに困った春日局の発案によるものだといわれています。
当時の大奥には千人近いうら若き女性がいたと思われますが、家光は相変わらずどの女性にも興味を示さなかったようです。
そこで春日局は策を練り、お振という娘に男装させて家光に近づけます。
これが功をそうしたようで、ようやく家光の第一子である千代姫が産まれることになります。
しかし、このお振は早死にしてしまい、世継ぎとなるべく男の子を生むことが出来ませんでした。
そんなときに江戸に若くて美しいお万という尼がやってきます。その尼を家光はとても気に入り、寵愛して側室に迎え入れたようです。
結局このお万との間には子供が出来ませんでしたが、これがきっかけで、なぜか家光の女性嫌いが治ってしまったうようなのです。
その後、古着屋の娘との間に家綱、八百屋の娘との間に綱吉が生まれます。その後も女中の子に家宣を生み将軍の跡継ぎをしっかり生み出し事なきを得ています。
春日局もほっと胸をなでおろしたことでしょう。
それにしても、将軍職である家光の子を産んだ女性が周囲の人たちがおぜん立てしたそうそうたる女性ではなく、古着屋や八百屋の娘というのがなんとも家光らしくて笑えますね。
古着屋の娘が産んだ子がのちのに4代将軍となる家綱ですから、娘の親である古着屋さんも相当に鼻が高かったに違いありません。