江戸の武士たちの呼び名は身分によって変わりました
現代では、よその家の夫を「ご主人様」といったり「旦那様」といったりします。
また、よその家の妻のことを「奥様」とか「奥さん」ということが一般的です。
しかし、江戸時代のおいては、身分によって呼び方が決められていたのです。
そのため、ある一定以上の身分の人に現代風に「お宅の旦那様」などとうっかり言ってしまうと「無礼者!」ということになりました。
それでは、江戸時代において武士やその妻の呼び名はどう変わったのでしょうか?
「奥様」というのは身分の高い人の夫人に対する呼び名
「殿様」というと多くの方は大名をイメージすると思いますが、実は大名である当主は「殿様」ではなく「御前様(ごぜんさま)」と呼びました。
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そして大名の妻は「奥様」あるいは「奥方様」と呼ばれました。
大名が一線を退いて隠居すると「大殿様」という呼び名に変わり、妻は「大奥様」となりました。
ちなみに、将軍家の場合ですと正室は「御台所(みだいどろ)」と呼ばれました。
これが御三家クラスになると妻の呼び名が「御簾中(ごれんちゅう)」となります。
つまり、簾(すだれ)の中にいる貴婦人という意味になるのだと思います。
それでは「殿様」というのはどういう身分の人がそう呼ばれたのかといいますと、将軍に直接会うことのできる御目見(おめみえ)以上の旗本でした。
つまり、大名よりも格下である旗本が「殿様」と呼ばれていたわけですね。
夫人に関しては、大名と同様に旗本の場合も「奥様」「奥方様」と呼ばれていたようです。
旗本にくらべてずっと親しみやすくなる御家人たちの呼び名
それに対して、将軍に直接会うことのできないお目見以下の御家人たちはどう呼ばれていたのでしょうか?
それは、現代でよく使われる「旦那様」という呼び方です。
また、御目見以下の御家人の夫人たちは「御新造様(ごしんぞうさま)」と呼ばれていました。
さらに身分の低い足軽になると「御新造様」ではなく「御新造さん」と、少し親しみやすい呼び名になったり、庶民と同様の「御内儀(おかみ)」などと呼ばれたようです。
現代でも他人の妻を「お前のおかみさん」などということがありますが、これは「御内儀(おかみ)」から来ているわけですね。
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現代では「旦那様」「奥様」という呼び方が一般的になっていますが、これが江戸時代であれば、男性は御家人の呼び方であり、女性はさらに上の身分である旗本以上の呼び方ですから、女性の地位の方が高いということになります。
逆に「おかみさん」といった場合には、女性の身分の方が低いことになります。
もちろんこれは江戸時代の話ですから、現代では「奥さん」と呼ぼうが「おかみさん」と呼ぼうがどちらでもまったく関係ありません。
武士を実名で呼ぶのは無礼にあたる
江戸時代の武士は、何度も自分の名前が変わりました。
生まれた直後に幼名というものがつけられ、その後に元服をすると名前が変わることになります。
さらに出世をして役職がついたりすると、また名前が変わったりします。
なんともややこしい江戸時代の武士の名前ですが、さらにややこしいことに名前が「名字」「名乗り」「諱(いみな)」の3つに分かれていました。
たとえば、時代劇でおなじみの遠山の金さんのフルネームは「遠山左衛門尉景元(とおやまさえもんのじょうかげもと)」となります。
このうち「遠山」が名字、「左衛門尉」が名乗り、「景元」が諱となります。
この諱にあたる「景元」が元服のときにつけられた、いわゆる当人の実名ということになるわけです。
しかし、武士の社会では実名を呼ぶことは無礼にあたるとされていたのです。
そのため、時代劇で遠山の金さんが登場するシーンでおなじみのセリフでも「景元」を抜いて「遠山左衛門尉様、ご出座〜」となるわけです。
ところで、「遠山左衛門尉景元」にはどこにも「金」の文字はないのに、なぜ彼は遠山の金さんと呼ばれたのでしょうか?
実はもともと「遠山金四郎」という名前だったのが、町奉行として出世したときに「遠山左衛門尉」と名乗りの部分を改名したのです。
なんとも複雑でややこしい江戸の武士たちの名前ですね。
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