武士たちは外泊禁止のためお出かけはいつも日帰り
現代でも未成年であれば、門限や外泊禁止のルールを設けている家庭も多いと思いますが、江戸時代の武士たちは、たとえ大人であっても外泊が禁止されていたのです。
外泊が禁止なだけではなく、暮れ六つ(午後6時)までに帰宅をしなければならないという門限まであったのです。
午後6時が門限なんて、現代なら高校生でも怒ることでしょう。
門限があって外泊ができないということは、当然ながら自由に旅行もできないということになります。
江戸時代の庶民の間では、旅行がブームになっていました。
弥次さん喜多さんでおなじみの東海道中膝栗毛には、お伊勢参りに向かう旅の楽しさが思う存分書かれています。
武士にはそういった楽しみが許されなかったわけですから、意外にも武士というのは大変な職業だったのかも知れません。
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武士たちの行動範囲は非常に限られていた
武士に門限があったり外泊が禁止された理由として、24時間体制で非常時に備えなければならないという役目があったからです。
戦国時代ならいざ知らず、天下泰平の江戸時代にそこまでの臨戦態勢を取る必要があったのかどうかは疑問ですが、武士というのは建前上はそういった気持ちで日頃から生活をしなければならなかたわけです。
大名などは、上屋敷、中屋敷、下屋敷といったようにいくつかの住まいを構えているものも少なくありませんしたが、たとえ側室が住んでいる下屋敷であっても外泊ができなかったといいますから、かなり厳しいルールといえるでしょう。
そのため、ちょっと遠出をする用事があるときなどには、夜明けとともに出発をしなければ、日帰りで帰ってくるのは困難になってしまいます。
日帰りといっても現代のように車や電車があるわけではありませんので、行動範囲は限られます。
「たまには家族サービスのために1泊旅行に出かける」などという息抜き的なことも武士たちは出来なかったわけです。
そういった意味では、武士というのはかなり不自由な生活を強いられていたということが分かるかと思います。
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武士が旅に出ることが許された例外とは?
武士が堂々と旅にでることができるのは、主君の参勤交代のときや、京都の二条城へ行ったり自分の藩に用事で出かけるなどの「御用道中」のときだけでした。
また、例外として親戚に祝い事や不幸があったときに限り、旅にでることが許されたようです。
しかし、そういった理由があれば簡単に旅にでることができたのかというとそうでもなく、面倒な手続きをして初めて許可されたのです。
まず、自分が所属する支配頭に対して、旅にでる理由やお供の人数、所要日数などを申し出て、道中奉行に許可の切手を発行してもらわなければなりませんでした。
さらに、関所を通過する必要がある旅の場合には、関所手形も必要でした。
祝い事が理由の旅であればともかく、不幸があった時などはとても旅を楽しむような心境にはなれなかったことでしょう。
また、禄高のある武士の場合、一人で気楽に旅をするというわけにもいかず、必ずお供を連れて行くことになりましたので、それなりに出費もかさんだに違いありません。
江戸時代においては、武士という特権階級に憧れる人は少なくなかったと思いますが、意外にも一般庶民の方が自由気ままでストレスがなくて、いきいきと生活ができたのかも知れません。
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