江戸の飛脚

江戸〜大坂間の飛脚の料金は最高で140万円だった!?

江戸から大坂までをまる二日で走る飛脚の料金は140万円

交通手段の発達した現代においては、東京都から大阪まで郵便物を送る場合、午前中に速達便で出せば翌日には到着します。

 

しかも普通の手紙であれば、料金は速達であっても82円+280円(速達料金)=362円です。

 

ところが江戸時代に、江戸から大坂まで一番早い便で飛脚を走らせたら、その料金は大変なことになります。

 

仕立(いまでいうチャーター便)の正三日限という実質まる二日で届く便をつかうと、なんと料金は銀700匁(約140万円)もかかりました。

 

今なら、ファーストクラスでニューヨークまで行ける金額です。

 

料金もびっくりですが、江戸と大坂間の570kmという距離を人間の足だけでまる二日で走り切った飛脚の走力にもただただ驚くばかりです。

 

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幕府の公文書を運んだのが飛脚の始まりです

飛脚はもともと、江戸幕府が開かれたときに、京都と江戸の間で公文書のやり取りが必要になったために誕生しました。

 

問屋と問屋の間を、公文書を持ってリレー形式で走ったわけです。

 

これがいわゆる「継ぎ飛脚」と呼ばれるものです。

 

やがて諸国の大名たちも自前で飛脚を使うようになり、これが大名飛脚となりました。

 

そして、幕府や大名だけではなく、一般の人の手紙や小包を運ぶために誕生したのが、民営による「町飛脚」ということになります。

 

町飛脚は、江戸、大坂、京都の商人たちが幕府の許可を得て運営をしていました。

 

上方と江戸の間を月に3回定期的に往復していたことから「三度飛脚」や「定飛脚」などと呼ばれたようです。

 

しばらくすると、江戸界隈の狭い範囲だけを営業拠点とする町飛脚もあらわれ、担ぎ棒に鈴をつけて音を鳴らしながら走っていたため、町人からは「チリンチリンの町飛脚」という愛称で呼ばれていたようです。

 

飛脚には細かな料金設定がありました

冒頭に紹介した、江戸〜大坂間の銀700匁(約140万円)というのは、飛脚の中でも一番早い仕立の正三日限の料金でした。

 

並便と呼ばれる一番安い飛脚であれば、江戸〜大坂間の料金はわずか30文(約600円)でした。

 

並便は十日限となっており、江戸と大坂間をおよそまる九日かけて運びました。

 

ただし、並便の場合は詳細な出発日が決められていないというデメリットがりました。

 

定期的に出発日が決められていたのは幸便と呼ばれるものです。

 

幸便の場合は、並便と同じく江戸と大坂間をおよそ九日かけて運ぶ十日限の料金が60文(約1200円)で、並便の2倍となりました。

 

幸便の場合は、配達日数によって細かに値段設定がされておりました。

 

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江戸と大坂間をおよそ七日で運ぶ八日限りの場合は銀一匁(約2000円)、七日限りの場合が銀一匁五分(約3000円)と、かかる日数の短さに応じて料金がアップしていきました。

 

幸便の一番早い便は正六日限というほぼ確実にまる五日で江戸〜大坂間を運ぶ便で、料金は金一朱(約3万2000円)でした。

 

仕立というのは、運ぶ荷物が1つでもあれば、その荷物のためだけに配達をするいわゆるチャーター便です。

 

依頼があれば、即時に出発をして料金ごとに決められた日数でほぼ確実にとどけられました。

 

仕立は当然料金も別格で、一番安い正六日限(ほぼ確実にまる5日で届く)の場合でも金3両(38万4000円)となっています。

 

そして、正五日限が金3両2分(44万8000円)、正四日半限が金4両(51万2000円)、正四日限が金4両2分(約57万6000円)と上がっていき正三日半限では金7両2分(約96万円)になります。

 

そして、江戸と大坂をほぼ確実に二日で走りきる仕立の正三日限の料金が銀700匁(約140万円)ということになるわけです。

 

どうやって江戸と大坂をまる二日で走り切ったのか?

現代の価値に換算して140万円という料金も衝撃的ですが、江戸と大坂をわずかまる二日で走り切ったという仕立の正三日限のスピードも驚異的です。

 

もちろんリレー方式で問屋場に待機している飛脚が、昼も夜も関係なしに走り続けたに違いありませんが、約570kmをまる二日で走り切ったとなると、平均時速は12kmとなります。

 

マラソンのトップランナーが時速20kmほどですから、その3分の2程度のスピードということになります。

 

しかし、現代のマラソンランナーが舗装されたほぼ平坦な道路を走るのとは違い、デコボコの峠道を走る続けたわけです。

 

当然ながらマラソンシューズなどというものはありませんから、履物は草鞋(わらじ)です。

 

さらに夜ともなれば、当時は灯りなどまったくなく真っ暗闇ですから、提灯をもった伴走がつくこともあったようです。

 

もちろん雨が降ろうが風が吹こうが関係なしに走り続けます。

 

そういったさまざまな悪条件にもかからず、平均時速12kmで走り切ったというのは驚くべきことです。

 

飛脚の中でも、特別に健脚なものばかりが選ばれていたのでしょう。

 

当時、中継所となる問屋場は江戸〜大坂間に52カ所あったといわれていますので、一人の飛脚が走る距離はおよそ2里から3里(8km〜12km)ほどであったと思われます。

 

つまり、たった1通の手紙を運ぶために、提灯の伴走も含めるとほどの人間がかかわっていた70人ということになります。

 

そういったことを冷静に考えてみると、140万円という料金も驚くほど高いというわけではなさそうですね。

 

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