江戸時代の罪人の入れ墨は腕に2本線だけではありません
時代劇などで、罪人の腕に2本の入れ墨があるシーンをご覧になったことのある人も多いことでしょう。
そのため、江戸時代の罪人(前科者)には、すべて腕に2本の入れ墨があると思っている人もいると思いますが、実は必ずしもそうではありません。
刑の重さによって入れ墨を入れられる場合とそうでない場合があり、また入れ墨の入れ方も地域によってさまざまなパターンがありました。
腕に入れられる入れ墨であれば、着衣によって隠すことができますが、おでこに入れられてしまうと隠しようがないので悲惨なことになります。
しかも、そのおでこに入れられる文字はかなり屈辱的なものでした。
どんな罪人が入れ墨を入れられたのか?
江戸時代には、一番重い死刑から始まり、遠島や江戸十里以内追放、江戸払い、所払い、敲き(たたき)、手鎖、過料、叱責(しかり)などのさまざまな刑罰がありました。
さらに死刑の中でも、犯罪の内容によって軽い順番に、下手人、死罪、火罪、獄門、磔刑、鋸挽きと分かれていました。
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このように、非常に多くの刑罰があった江戸時代ですが、入れ墨の刑が単独で行われることは少なかったようです。
入れ墨の刑は、敲きや所払いとなった者にオプション的な罪として入れられることが一般的でした。
敲き(たたき)というのは、文字通り罪を犯した者を叩くわけです。
罪の内容によって、50回たたかれる「軽敲き」と、100回たたかれる「重敲き」がありました。
ただ、女性の場合には敲きといっても実際にたたかれることはなく、50日あるいは100日の牢舎となったようです。
敲きは、主に窃盗や博打などの軽犯罪に適用されましたが、初犯であれば文字通り叩かれるだけで済んだようです。
それが再犯となった場合には、叩かれるだけではなく入れ墨が入れられたわけです。
さらに再犯を繰り返し、入れ墨3回となると死罪が適用されたようです。
敲きの他に、所払いという刑罰のオプションとしても入れ墨が入れられました。
所払いというのはいわゆる追放刑で、罪の重さによって江戸十里四方とか江戸からの追放など、いくつかのランクがありました。
所払いの罪人に入れ墨を入れる理由としては、追放になった罪人が江戸に戻って来たりするのを防止する目的があったのではないかと思われます。
そのために、入れ墨のパターンが地域ごとに違っていたのでしょう。
もちろん、入れ墨の刑が単独で行われることもありました。
スリなどの場合には、初犯で入れ墨、再犯で敲きという刑罰なることが多かったようです。
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入れ墨は地域によって異なっていました
時代劇に出てくる罪人の入れ墨は腕に2本が定番です。
しかし、腕に2本の入れ墨というのは、あくまでも江戸の町における罪人の場合で、実際に罪人たちの入れ墨には地域によってさまざまなパターンがあったのです。
江戸の場合には、2本の線を肘の関節よりも下の部分に入れますが、これが大阪の場合だとほぼ関節の位置に2本線が入ります。
築後の場合には腕の間接より下に2本線ではなく、バツ印の入れ墨が行われました。
さらに紀州の場合には、肘の関節の下の部分に「悪」という屈辱的な入れ墨が入れられました。
しかし、腕であれば屈辱的な入れ墨を彫られたとしても、着物の袖で隠すことができますが、悲惨なのは顔に入れ墨を入れられた場合です。
肥前や高野山などでは、おでこにバツ印や点の入れ墨が入れられました。
さらに屈辱なのが、芸州広島です。
初犯の場合にはおでこに「一」の文字を入れます。
これが二回目になると、縦にもう1本の線が入って「ナ」という字に変化します。
そして極め付けは三回目で「ナ」という字にさらに2画書き加えて「犬」という文字に変化します。
自分の額に「犬」という入れ墨が彫られるわけですからこれ以上の屈辱はありませんが、3度も犯罪を繰り返して死罪にならなかっただけでもありがたいと考えるべきでしょう。
さすがに「犬」という文字を別の文字に変えるのは難しいので、4度目は間違いなく死罪になったことと思われます。
それにしても、額に「犬」と彫られた罪人たちは、どんな日常生活を送っていたのでしょうか。
現代ならば、間違いなく人権問題になるところですね。
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