江戸時代の医者の診察料

診察料が高くて医者にかかることができなかった江戸時代

現代とは比較にならないほど高額な江戸の医者の診察料

健康保険制度がある現代では、風邪などのちょっとした病気であれば数千円の医療費ですんでしまいます。

 

ところが、江戸時代に医者に診てもらおうと思ったら、目玉が飛び出るほどの診察料が必要でした。

 

確かに「医は仁術」という考えのもと、貧乏人からはお金を取らないという立派な医者もいたようですが、少数派だったようです。

 

それでは、江戸時代に医者に診てもらった場合、実際にどれくらいの診察料がかかったのでしょうか?

 

医者のレベルはピンからキリまででした

江戸時代の医者は、幕府に仕える御典医藩に仕える藩医、そして一般の人が対象の町医者に分けられていました。

 

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江戸時代では、現代のように医師の国家試験などありませんでしたから、なろうと思えば誰でも医者になれたのです。

 

参考記事:江戸時代のお医者さんは誰でもなれて資格試験もなし

 

そのため、医者のレベルもピンからキリで、町医者の中にはかなりのヤブ医者もいたようです。

 

一般の人であってもお金さえあれば、幕府御用達の御典医に診てもらうことは可能でした。

 

しかし、その診察料はありえないほど高額で、御典医に往診を頼むと4両(51万2000円)もの大金が必要だったそうです。

 

それでは、町医者であれば安く診療をしてもらえるのかというと、必ずしもそうではなかったようです。

 

確かに町医者であれば御典医くらべてだいぶ安くはなりますが、それでも一般庶民が軽い風邪程度の病気で支払える金額ではなかったようです。

 

実際の町医者の診察料はどれくらいだったのでしょうか?

 

町医者といえども高額な診察料があたりまえ

江戸叢書という書物の中に、当時の医者の診察料について書かれています。

 

それによりますと、町医者の診察料は銀10匁〜15匁(2万円〜3万円)とのことです。

 

さらに薬代が3日分で15匁(3万円)ほどかかり、往診をたのめば初回が銀22匁5分(4万5000円)2回目以降は15匁(3万円)かかりました。

 

つまり、江戸時代に病気になって町医者に往診をたのむと、初診の場合で3日分の薬代と合わせて9万5000円〜10万5000円もかかってしまったのです。

 

そのため、町医者といえども一般庶民がそう簡単に診察をたのむということは出来なかったわけです。

 

ちょっと鼻が出る程度の風邪ですぐに医者にかかってしまう現代人は、こと医療に関しては本当に恵まれているといえるでしょう。

 

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医者にかかることの出来ない人はどうしていたのか?

お金がなければ医者にすらかかることの出来なかった江戸時代ですが、一般庶民は病気になったときにどうしていたのでしょうか?

 

彼らが病気のときに頼りにしたのが、鍼灸治療や薬売りです。

 

特に薬売りは、おいそれと医者にかかることの出来ない江戸の庶民にとっては、とても心強い存在でした。

 

薬売りから買う薬の中で人気があったのが、富山の「反魂丹」伊勢の「万金丹」です。

 

元禄3年に、江戸城内で腹痛を起こした三春藩主の秋田輝季に対して、富山藩主の前田正甫が自分の印籠の中から出した「反魂丹」を出して飲ませたところ、まるで嘘のように腹痛が収まってしまったといいます。

 

これを見ていた諸大名たちが、その効果に驚いて自分の藩内での販売を依頼するようになったとのことです。

 

こうして「反魂丹」はとても効き目のある薬として全国で売られるようになっていきました。

 

ちなみにこの「反魂丹」はいくらで売られていたのでしょうか?

 

唯一記録に残っているのが、江戸末期(慶応2年)に売られていたときの金額で、2分入り(0.75g)で70文(1400円)だったそうです。

 

物価の高騰が激しかった江戸末期でこの値段ですから、文化・文政の時代であればかなり安く手に入れることができたものと思われます。

 

医者の診察料にくらべて、薬の値段は本当に庶民にとってはいかに良心的だったかということが理解できるかと思います。

 

ちなみに、この「反魂丹」は胃痛や腹痛に効果のある薬として今でも売られているようで、ネット通販などで普通に購入することが可能です。

 

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