三下り半を書いてもそう簡単には離婚は出来ませんでした
江戸時代の男性は、自分の女房が気に入らなくなると、三下り半を書いて簡単に追い出すことが出来たと思っている人が多いようですが、どうやらそれは事実ではないようです。
実際には、男性が三下り半を突き付けても、それに対して女性の方が「返り一礼」という受領証を書かなければ江戸時代の離婚は成立しなかったのです。
江戸時代の男尊女卑を象徴するかのように言われている三下り半ですが、その真実はだいぶ捻じ曲げられて伝わってしまっているようです。
女性の再婚を前提に書かれた三下り半の文面
自分の女房に対して三下り半を突き付けるなどというと、血も涙もない冷たい男性のようなイメージを持つでしょうが、意外にも文面を読んでみると女性に対する気配りがあったようです。
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三下り半というのは、タイトルや日付、差出人などを省いた部分の本文が三行半で書かれていたことから、俗にそのように呼ばれていました。
正式名称は「三下り半」ではなく「離縁状」あるいは「離別状」といいました。
それら三下り半の文面には「離婚の理由は当方の自分勝手な理由のため、離婚後は誰と結婚をしても良い」というような内容になっていることが多かったようです。
たとえ女性の側に問題のあった離婚であったとしても、そのように書くのが礼儀であったといわれています。
なぜならば、江戸の町においては、女性の離婚は近い将来に再婚をすることが前提であったからです。
江戸の男女の人口比率は7:3で圧倒的に女性が少なかったために、離婚をした女性は何度でも再婚をするのが当たり前だったのです。
そうしないと、なかなか嫁不足が解消できなかったという事情もあったに違いありません。
つまり江戸の町では、バツイチどころかバツ2やバツ3の女性が大勢いたということになります。
三下り半に、女性の側に問題があって離婚をしたというようなことが書かれてあっては、再婚の際の妨げになる可能性があります。
そうならないように思いやりの気持ちから、三下り半は男性側の身勝手な理由での離婚になったというような文面になっていたといわれています。
ちょっとは三下り半のイメージが変わってきませんか?
三下り半を書いても簡単には離婚できなかった?
現在の離婚届は、夫婦がそろって捺印をしなければ受理をしてもらえません。
それに対して江戸時代では、三下り半という男性側からの一方的な申し出により離婚ができたと思われています。
しかし、それは真実ではありません。
実は三下り半をもらった女性は、夫に対して「返り一礼」という三下り半の受領証のようなものを書く必要があったのです。
三下り半という言葉はほとんどの辞書に載っている言葉ですし、知らない人は少ないと思います。
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しかし、返り一礼という言葉に関しては、ほとんどの辞書に掲載されておらず、知っている人がむしろ少ないでしょう。
三下り半を渡した男性は、女性の側からこの「返り一礼」を受け取るまでは、再婚できない仕組みになっていたのです。
もし女性が男性側からの三下り半に不満があるのであれば、この返り一礼を書かなければよかったのです。
つまり、江戸時代であっても、現代と同様に双方の同意がないことには離婚は成立しなかったことになります。
もし男性が、この返り一礼を受け取らずに別の女性と結婚したりすると、重婚の罪で「所払い」となってしまいます。
所払いというのは、読んで字のごとくいま現在住んでいるところを追い払われてしまうという追放刑です。
このように、三下り半というのは男性から女性への一方的な離婚宣言のように思われていますが、それは大きな間違いであることが分かると思います。
男尊女卑といわれた江戸時代においても、最低限の女性の意思は尊重したわけです。
「貞女二夫に見えず」は上級武士の奥方の話
ちなみに、江戸時代には「貞女二夫に見えず」という言葉があります。
貞女は夫が亡くなったあとも再婚することはないという意味ですが、これはあくまでも上級武士たちの奥方の話です。
夫亡き後も、残された遺産で十分に食べていくことが出来たために再婚をする必要がなかったわけです。
下級武士や町人の女房であった女性は、食べていくためにはそんなことは言っていられませんから、さっさと次の夫を見つけて再婚したわけです。
圧倒的に女性の少なかった江戸の町では、いくらでも嫁の貰い手はあったわけです。
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