江戸時代の石鹸や洗剤の代わりに使われていた意外なもの
現在ではお風呂に入ったり洗い物をするときには、石鹸や洗剤を使うことは当たり前になっています。
江戸時代において、体を洗ったり洗濯をするときには何を使っていたのでしょうか?
石鹸そのものは16世紀に日本に入ってきています。
しかし、一般庶民が石鹸を使うようになったのは明治になってからのことです。
国産の石鹸が発売されたのは明治6年のことですし、洗濯用の合成洗剤が初めて発売されていたのはずっと後の昭和31年のことです。
ここでは、江戸時代では石鹸や洗剤の代わりに何が使われていたのかについて解説してみたいと思います。
石鹸の代わりに米ぬかで体を洗っていた!?
江戸時代においても、ポルトガルから入ってきた石鹸はありました。
しかし、当時の石鹸(しゃぼん)は超高級品で、一般庶民が体を洗うために使うことは出来ませんでした。
そのため、江戸の庶民が銭湯で体を洗うために使ったのは、お米を精米したときに出来る「米ぬか」だったのです。
彼らがお風呂に行くときには、自前の米ぬかを袋に入れてもっていくか、袋だけを持って行って銭湯の番台で米ぬかを買って使っていました。
米ぬかを使って体を洗うことで、体の汚れが落ちるだけではなく、肌をしっとりとさせる効果もあったようです。
そういった効果を期待してか、最近では一部の女性の間で米ぬかを使った洗顔が流行しているようです。
銭湯で体を洗う人がみんな米ぬかを使うわけですから、お風呂屋さんには使い終わった米ぬかが大量に集まることになります。
実は江戸時代には、これらの銭湯から出る米ぬかを買い取る商人がいたのです。
その米ぬかを農家が買って畑の肥料にしていました。
江戸時代は究極のリサイクル社会といわれますが、このように米ぬかでさえも最後まで有効活用されていたわけですね。
洗剤の代わりにカマドの灰を使って洗濯をしていました
お風呂で石鹸の代わりに使われたのは米ぬかですが、洗濯をするときの洗剤の代わりに使われたのがカマドから出る灰です。
当時は灰汁桶というものがあり、水を満たした桶の中に灰を入れ、底の部分の栓から灰汁が流れ出るようになっていました。
江戸時代の女性たちは、タライの中にこの灰汁を入れて洗濯物を手もみ洗いしていたのです。
灰汁ではいまの洗剤のような洗浄力はありませんし、江戸時代には洗濯板などというものもありませんでしたから、当時の洗濯はかなりの重労働であったに違いありません。
洗濯機に衣類と洗剤を入れて、あとはスイッチ一つで済んでしまう現代の女性たちは、江戸時代の女性たちにくらべると本当に幸せですね。
戦国時代までは、川原の岩の上や井戸の近くの石の上に洗濯物を乗せて、足で踏んで汚れを落としていたようです。
戦国時代の衣類は麻や木の繊維で作った非常に丈夫なものであったために、硬くて手で揉むというのは困難だったのでしょう。
しかし、江戸時代になると木綿が普及してきたために、洗濯物を岩において足で踏みつけたりすると破けてしまうため、手もみ洗いが主流になりました。
この灰汁を使った洗濯は、合成洗剤が普及する第二次世界大戦後まで普通に行われていたようです。
もっとも明治中期以降になると洗濯板がヨーロッパから伝来したため、江戸時代の頃の洗濯にくらべるとだいぶ楽にはなっていたでしょう。
また、意外なものとしては、豆腐を作るときに出る豆腐湯というものも洗剤として使われたようです。
豆腐湯の中には若干の脂分が含まれているため、汚れを落とす効果があったのだと思います。
当時は、朝早くに豆腐屋に行くと、この豆腐湯がタダでもらえたそうです。
カマドの灰や豆腐を作ったあとの水を洗濯に使うなど、まさに江戸は究極のリサイクル社会であったわけですね。
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