江戸時代の大食い大会

江戸時代にもあった大食い大会の信じられないような大記録

江戸時代の大食い大会があまりにも壮絶すぎます

ギャル曽根やジャイアント白田などの大食いチャンピオンたちが人気者になっていますが、いつの時代においても大食いというのは人の心を引き付けるものがあるようです。

 

江戸時代においても大食い大会が良く行われたようです。

 

江戸時代の大食い大会の中でも特に有名なのが、文化14年に両国の柳橋の万八楼で行われたものです。

 

この大会の様子は、「兎園小説」や「文化秘筆」といったさまざまな文献に詳しく書かれています。

 

大酒の部と大食いの部が同時開催されたようですが、どちらもびっくり仰天の大記録が残されています。

 

お菓子の部の壮絶な大食いぶり

まず菓子の部から見ていきたいと思います。

 

現代の大食い大会のように、参加者が同じものを食べるのではなく、参加者がそれぞれ自分の食べたいものを自由に選んで、その食べた量を競い合ったようです。

 

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エントリー1〜神田に住む丸屋勘右衛門さん

神田に住む丸屋勘右衛門さんという56歳の方は、まんじゅう50個、ようかん7棹、薄皮もち30個、お茶19杯を平らげています。

 

お茶19杯だけでもお腹がいっぱいになりそうですが、これだけ甘いものを続けて食べるわけですから、お茶が進むのも仕方のないところです。相当な甘党の方なのでしょう。

 

エントリー2〜八丁堀に住む伊予屋清兵衛さん

八丁堀に住む伊予屋清兵衛さんという65歳の方は、まんじゅう30個、うぐいすもち80個、松風せんべい30枚、たくあん5本まるかじりの記録が残っています。

 

当時の65歳といえばかなりの高齢ですから、たくあんを5本もまるかじりして、はたして歯は大丈夫だったのだろうかと心配になってしまいます。

 

そもそも菓子の部にたくあんを食べるとうのも理解不能ですが、ルールそのものがかなりあいまいだったのでしょう。

 

ただ、この方は甘いものと辛い物を交互に食べているようですので、ある意味賢い作戦だったといえいるでしょう。

 

エントリー3〜麹町に住む佐野屋彦四郎さん

麹町に住む佐野屋彦四郎さんという28歳の方は、まんじゅう50個、もち100個を平らげています。

 

もちの味付けが何だか分かりませんが、いずれにしも100個というのは壮絶な数ですね。

 

うっかり喉に詰まらせたら大変なことになりそうです。まさに大食いも命がけですね。

 

エントリー4〜丸山片町に住む足立屋新八さん

丸山片町に住む足立屋新八さんという45歳の方は、今坂もち30個、せんべい200枚、梅干し2升、お茶17杯という記録を残しています。

 

先ほどのたくあん5本まるかじりの人もそうですが、江戸時代の人は歯の丈夫な人が多かったのでしょうか?

 

せんべい200枚を平らげる胃袋にもびっくりですが、歯の丈夫さにも驚かされます。

 

さすがにせんべい200枚ともなると、お茶17杯というのは頷けますね。

 

エントリー5〜麻布に住む亀屋佐吉さん

麻布に住む亀屋佐吉さんという43歳の方は、あま酒50杯、菜漬3把という記録になっています。

 

江戸時代のあま酒は米麹ベースだったのでアルコールは含まれていなかったと思われますが、これがもし酒粕ベースのあま酒であったならば、50杯も飲んだらさぞやいい気分になってしまったに違いありません。

 

あま酒のおつまみに菜漬3把というのがちょっと癒されますね。

 

ご飯を68杯と醤油2合を平らげた!?

次にご飯の部の記録をみていきましょう。

 

ご飯の部は、白米ご飯をそのまま食べるのではなく、味噌茶漬けにしたものを何杯食べられるかを競い合ったようです。

 

エントリー1〜三河島に住む三右衛門さん

三河島に住む三右衛門さんという41歳の方は、ごはん68杯に醤油2合という記録が残っています。

 

ごはん68杯もすさまじい記録ですが、醤油2合にもびっくりです。

 

醤油を一気に飲んだ場合の致死量は、個人差がありますが168ml〜1500ml程度だといわれています。

 

2合といえば360mlということになりますので、三右衛門さん死ななくて本当に良かったと思います。

 

エントリー2〜浅草に住む和泉屋吉蔵さん

浅草に住む和泉屋吉蔵さんという73歳の方は、ごはん54杯、青唐辛子58本という結果を残しています。

 

73歳という高齢でありながら、ごはん54杯を平らげる胃袋には驚かされますが、それよりも青唐辛子58本が衝撃的です。

 

大食い大会ではなく、罰ゲームではないかとさえ思ってしまいます。

 

さぞや翌日はトイレがつらかったことでしょう。

 

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そばの部の最高記録は63杯

そばの部は、せいろに盛った普通の二八そばを、どれだけ食べられるかというシンプルなものです。

 

ごはんの部のように、醤油や青唐辛子といった邪道なものは登場ぜずに、単純にそばをどれだけ食べたかを競ったようです。

 

その結果、池之端仲町に住む山口屋吉兵衛さんという方が63杯、新吉原に住む桐屋惣左衛門さんという方が57杯、浅草に住む鍵屋長介さんという方が49杯という記録を残しています。

 

一口で食べられる岩手県のわんこそばなら分かりますが、せいろに盛った並み盛のそばを63杯平らげるというのは想像を絶する強靭な胃袋の持ち主ですね。

 

どう考えても命がけの酒の部

江戸時代の大食い大会は驚きの連続ですが、酒の部も半端ではありません。

 

この酒の部はルールが単純で、ひたすら倒れるまで飲み続けるというものです。

 

エントリー1〜芝口に住む鯉屋利兵衛さん

芝口に住む鯉屋利兵衛さんという30歳の方は、3升入る盃に酒をなみなみとついで6杯を飲み干し、7杯目を飲んでいる途中に意識を失ったようです。

 

1升瓶に換算すると19.5本飲んだことになります。

 

そのあと休憩所でしばらく横になっていたらなんとか意識を回復したとのことですが、普通の人ならば、ほぼ間違いなく急性アルコール中毒で死亡すると思います。

 

意識を回復した後に水を17杯も飲み干したそうですが、鯉屋利兵衛さんの肝臓の強靭さにはただただ驚くばかりです。

 

エントリー2小石川春日町に住む天堀屋七右衛門さん

小石川春日町に住む天堀屋七右衛門さんという73歳の方は、5升入る盃に酒をなみなみとついで一気に1杯半飲んだところで、用事があるということでその場を去ってしまったようです。

 

1升瓶に換算すると7.5本相当となり、先ほどの方とくらべると見劣りはしますが、73歳という年齢を考えると、とんでもない酒豪ということがいえます。

 

この天堀屋七右衛門さん、用事があるということで帰ってしまったわけですが、途中で眠りこけてしまったらしく、次の日の朝に湯島聖堂の近くで眠っているところを発見されたとのことです。

 

一歩間違うと、冷たくなって発見されてもおかしくなかったですね。

 

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