将軍の食事と毒見役

将軍の食事を作る人は毒見役も含めて総勢100人もいた!?

将軍の食事は毒見をするために20食作られた

八代将軍吉宗の時代には、将軍に出す食事を台所役人と呼ばれる総勢100人の男たちが作っていました。

 

その100人の男たちで作られた食事をたべるのは、将軍とその正室の2人だけです。

 

つまり、たった二人分の食事を作るためだけに、100人もの人間がかかわっていたということになります。

 

いったい、なぜ将軍の食事を作るために100人もの人間が必要とされたのでしょうか?

 

意外にも質素だった将軍の食事内容

将軍の食事がどんなに豪勢であったとしても、常識的にたった2人分の食事を作るのに100人の人間は必要ありません。

 

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そもそも、私たちが想像するほどに江戸の将軍は贅沢な食事をしていたわけではありません。

 

将軍の食事は二汁五菜が基本だったといわれています。

 

つまり、汁物が2種類とその他のおかずが5種類ということになります。

 

現代のわれわれの食事とくらべても決して豪勢ということはなく、将軍という地位を考えた場合むしろ質素であったといえるでしょう。

 

現代の一般家庭であれば、奥さんが一人で十分に作れる品数です。

 

たったこれだけの食事を作るために、なぜ100人ものマンパワーが必要だったのでしょうか?

 

将軍の食事はなんと一度に20人も前作られました

食事そのものは将軍と正室2人のために作られていますが、実際に作られる食事の数は20膳にもなりました。

 

つまり、将軍と正室それぞれに10人前ずつの料理を作ったということになります。

 

いったいなぜそれほどの食事を作る必要があったのでしょうか?

 

一番の理由は、将軍の毒殺を防止するためです。

 

10人前作った食事の中から、何人かの毒見役がランダムに選んだお膳を食します。

 

また、同様に将軍に献上する食事も、10人前の中からランダムに選んだのです。

 

台所役人たちは、そのような石橋をたたくような体制で将軍に出す3度の食事を作っていたわけです。

 

しかし、将軍の食事を一度に20人前作るとしても、それだけのために100人もの人間が必要になるでしょうか?

 

食事の中に異物が入っていたりしたら切腹もの

20人前の食事を大勢の人間で作るとなると、逆になかなか目が行き届かなくなり、どこで何が行われているのかが分からなくなってしまいます。

 

どさくさに紛れて、何か悪さをする人物がいるかも知れません。

 

そのため、料理を作っている人を監視する人間が必要になってくるわけです。

 

料理を作る人がたくさんいれば、当然ながらそれを監視する人も大勢必要になるわけです。

 

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また、料理も食材をそのまま使って簡単に作るというわけにはいきません。

 

万が一、将軍に出す料理の中にゴミや虫などの異物が入っていたら、それこそ切腹ものです。

 

そのため、実際に料理を作る前には、米粒ひとつまで丹念にチェックをしたといわれています。

 

このように、将軍の食事を作るためには想像を絶するほどの手間暇がかかっており、その結果として100人もの人間がかかわることになってしまったわけです。

 

実際に食事に毒が盛られたことはあるのか?

将軍の食事に毒が盛られないように、100人もの人間によって20人前もの料理が作られてきたわけですが、実際に食事に毒が盛られて毒見役が亡くなったという事例はあるのでしょうか?

 

少なくとも、徳川将軍家においてはそのような事例は文献として残っていないようです。

 

仮にそのようなことがあったとしても、表ざたになると大変なので食中毒などの理由でもみ消されてしまった可能性はあります。

 

いずれにしても、将軍家においてそのような記録は残ってはいませんが、4代将軍家綱の時代に仙台の伊達家において事件が起こっています。

 

伊達騒動のときに、伊達兵部が藩の世子である亀千代の毒殺を図った事件です。

 

結局、毒殺は成功しませんでしたが、毒見役である塩沢丹三郎ら3人が死亡しています。

 

亀千代の毒殺は避けられましたが、このことを幕府に知られることを恐れた藩では、この事件を食中毒ということで処理をしてもみ消してしまいました。

 

江戸時代のお殿様たちは、食事をするだけでも相当に大変だったようですね。

 

ちなにみ、現代の皇室においても、侍医長が同じメニューを別室で食べるという毒見の風習が残っているようですが、主に栄養管理が目的だといわれています。

 

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