江戸の町は上下水道が完備でしかもすべて無料だった!?
現代の日本においても、地方に行くと上下水道が通っていない地域はたくさんあります。
上水道の代わりに井戸の水を使い、排水は家の周りの側溝に垂れ流しだったりします。
しかし、いまから数百年も前の江戸の町では、驚くべきことに上下水道完備だったのです。
しかも現代のように水道代や下水道代などは一切かからず、長屋に住む江戸の住民たちはすべて無料で利用できたのです。
なぜ、江戸の町では上下水道が発達することになったのでしょうか?
高度な土木技術と測量技術で作られた上下水道
江戸時代において、江戸の町以外の地域においては井戸水を使うのが当然のことでした。
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しかし、当時の江戸城の周辺は埋め立て地が多かったこともあり、井戸水を飲料水として利用することは困難でした。
もちろん場所によっては井戸水を使うことが出来るところもあったのですが、その井戸水だけで百万都市である江戸の住民の飲料水を賄うことは不可能でした。
そのため江戸の町においては、人々が暮らしていくうえにおいて上水道はなくてはならないものだったのです。
結果として、江戸の町中には網の目のごとく上水道が張り巡らされることになったのです。
当時は、江戸城周辺に住む上流階級の人々ばかりではなく、長屋の住民までもが上水道の恩恵にあずかったのです。
しかも、長屋の住民たちは無料で利用できましたから、高い水道代金に頭を悩ませる現代人にしてみれば、なんともうらやましい話です。
江戸の上水道は、多摩川を水源とする玉川上水と井之頭池を水源とする神田上水が主な水源でした。
これらの水源から、うまく高低差を利用して水を引いてきたのですが、江戸は坂の多い地域ですので、そうとうな測量技術と土木技術がなければうまく水は流れません。
江戸の人々は、われわれが想像する以上に高度な技術を持っていたようです。
維持費用は地主と武家屋敷が負担
下水道も上水道と同様に、高低差を利用して川に汚水を流すシステムでした。
現代のように汚水処理場などありませんから、汚水をそのまま川に流すだけです。
しかし、当時は汚水といっても洗剤や脂分などがほとんど含まれていませんでしたので、汚水をそのまま流しても川が汚染されるということはありませんでした。
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むしろ、汚水の有機物によってプランクトンが繁殖し、結果的に東京湾で魚が良く獲れるようになったようです。
下水道といっても、地面に溝を掘っただけでは、汚水が地中に染みてしまい路地がドロドロになってしまいます。
そこで、木で作った樋を敷きつけて、地中に汚水が染み込まないようにしていました。
そして、それらの下水道には板で作られた蓋がされていました。これが、いわゆる「ドブ板」といわれるものです。
いずれにしても、これほど大掛かりな下水道が江戸中に張り巡らされていたわけですから、当然その維持管理には相当な費用が掛かっていたに違いありません。
樋もドブ板もすべて木で作られていましたから、現代のようなコンクリート製と違ってすぐに腐ってしまったことでしょう。
当然、それらの不具合のある箇所を定期的に修繕しなければなりません。
また、常に汚水を流すわけですから、ひんぱんに清掃をしなければ途中で詰まってしまいます。
それなのに、江戸の長屋の住民たちはこれらの上下水道をなぜ無料で利用することが出来たのでしょうか?
実は、上下水道の維持費用として、地主たちが自己の所有する間口に応じて分担金を支払っていたのです。
長屋の住民には一切水道料金はかかりませんが、大家さんがしっかりと支払っていたということになります。
また、武家屋敷などは石高によって分担金を支払っていたようです。
このように、すぐれた土木技術と武家屋敷や大家たちによる維持経費の負担があって、百万都市江戸の上下水道は運営されていたわけです。
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